私自身が新聞記事のレイアウトを担当したので覚えているが、このフェスティバルにはicanという団体もかかわっていたようだ。ここのロゴを併記してほしいと頼まれ、データを少し見やすく改造して掲載した。局長は「無理しなくていい」と言ったが、なんとか入れることができた。
icanとはInternational Campaign to Abolish Nuclear Weaponsという団体で、簡単に言うと国際的な核廃絶を呼びかける組織である。
英語だが、一応サイトも併記しておく。
icanホームページ(英語) さて、フェスティバルが始まり、みな首をめぐらせて内容を見ようと必死であるが、人間はフクロウのように首が回らないので、筋でも痛めないかと心配になる。
そのうち一人が、「背中に背負えばいいんだよ!」と気がつき、みな一斉にカメのごとくボードを背負いだす。おかげでカメラを構える余裕が出来た。
和太鼓で注目を集めつつ、フェスティバル開始。
船に乗っている被爆者の方の証言、9条ダンスなどが披露され、ややピースボート乗船客が多いような気がするものの、現地の方々も足を止めて見てくれていた。
後で思えば、このボードを持って囲むという役割は、中々のベストポジションで、コンサートで言えば警備員みたいな立ち位置だ。(座っていたが)
最後はボードを片付けつつ、みなで「青い空は」など、広島・長崎の原爆にかかわる歌を歌って解散となった。
さて、この後はどうするかということになったが、他の子達は「7時から始まる教会の音楽会を聞きたい」とのことで、適当に夕食を食べて教会に向かうという。
私は頭痛がとにかくひどかったのだが、薬を持ち合わせていなかったので、船に戻ることにした。具合が良くなれば教会に行くと告げ、そこで別れる。
船の帰船リミットは元々8時だったのだが、色々あって夜の11時に延長されていた。北欧の夜は短く、夜でも充分明るいので、音楽会を聞いた後でも局員たちは無事に戻れるはずである。
皆と別れた私は、一人港へ向かってのんびり歩き始めた。もうノルウェジアンクローネは無いので、店舗には入らずあちこち見ながらぶらり帰ろうかといった感じだ。
昨日見かけた帆船は、今日は出航予定がないようで、帆を畳んで停泊していた。
ブリッゲンの木造倉庫群は、よく見るとハンザ同盟時代の道具などが展示されている。
さっきとは違う倉庫の間の道に入ってみる。
倉庫と倉庫をつなぐ渡り廊下というか、橋のようなものが頭上にかかる。
トナカイかヘラジカかクマかわからぬが、毛皮をかけた馬車が無造作に置かれている。
ブリッゲン地区はそのまま、裏通りに抜けることが出来た。
地図で確かめると、この裏通りを行くと、やや遠回りだが昨日の城郭公園を抜けて港に戻れそうである。
古そうな家がたたずんでいる。ブリッゲンの倉庫群と同じようなつくりのようだ。
古い教会があり、コケと植物に覆われた石碑があるのでなんとなく見れば、それは誰かの墓であった。
欧州の墓は、教会の床に突然あったりして、踏んでしまってゴメンナサイと合掌してしてしまうこともしばしばである。
色の違う石を組んで、横断歩道が作られている。
信号は無く、車通りも少ない。が、油断は禁物である。
しばらく歩いて、ようやく城郭公園にたどり着いた。
ここの一部は宿泊施設?のようだがよくわからない。
緑の公園を歩いてみたが、どうにも頭痛は改善せず、そのまま船に戻って夕食を食べ、頭痛薬など飲んで部屋で一休み……
と思ったが、そのまま寝てしまい、気がついたら帰船リミット時間だった。
翌日、教会のコンサートに行った子たちに、どんなだったか聞いてみると…
「あまりに演奏が素晴らしすぎて、みんな召されちゃった♪」
要は、音楽が素晴らしすぎて、みんな寝てしまい、どんな音楽が覚えていないということである。
よくもまぁ、帰船リミットに遅れなかったものである。(神父さんか牧師さんに起こされたんだと思うが)
その後、新聞局内では寝落ち=召されるという隠語が、一時期流行った。