カクテル・ウィズ・マンサニージョ~メキシコ・マンサニージョ~ [寄港地]
最後から二番目の寄港地、マンサニージョ。
このマンサニージョのプエルト・デ・マンサニージョ・フレンテ・デ・モヌメント・ペス・ベラに朝の6時、オセアニック号は入港した。
どうも、中南米の港の名前は呪文のごとく長い気がする。
朝早く寄航したものの、実はそんなに長い時間この港にはいない。
12時が帰船リミットで、13時には出航してしまう。
これは、ここでティオティワカン遺跡観光組を降ろすことが目的、ということが一因にもなっている。
降ろして、給油して、とっとと最後の港エンセナーダに向かうというわけだ。従って、ここだけの観光ツアーはビーチ送迎バスとマンサニージョ観光のみとなる。
ビーチ送迎バスはオープン形式の屋根付き馬車のようなバスで、中々面白かったとのこと。
ピースボートの観光ツアーは、送迎モノはツマラナイことが多く、こういう感想は珍しい。
私はどうにも体が重く、起き上がれたのは11時前だった。
着替えて、せかせかと船を出る。
外はじんわりと暑いが、熱帯の暑さとは少し違っていた。
マンサニージョはカジキマグロを釣る大会で有名なところだそうで、大きなカジキマグロのモニュメントが有名だという。
それは、港を出てすぐのところにあった。
大きい。
残念ながら、それ以上の感想は浮かんでこない。
一帯は公園として整備されているようだ。
それにしても人影はない。
中々見通しの良い港で、オセアニック号がはっきりと見える。
他の船も停泊していた。
この船は、潜水艇を積んでいるようだ。何かの探査船なのだろうか。
タグボートも堂々と係留されている。
タグボートは港や会社によって馬力や形が違うが、ここのタグボートの色は空色で美しい。
パイロットボートも港湾の中を走り回っていた。
オセアニック号の出航までわずかだから来たのかと思えば、通り越して他へ行ってしまった。
オセアニック号の横腹には、古めかしい給油船がコバンイタダキのようにくっついていた。
言ってはなんだが、ここまでボロボロの給油船は今まで見たことがない。
港の前の土産物屋が並ぶ建物を見て回る。
ここで布やキーホルダー、絵葉書などを買い込む。グアテマラの土産物屋と違い、客引きなどはしつこくないし、値段もほぼ適正。したがって、値引き交渉は難しい。
そういえば、メキシコから出した最後の手紙は、結局家には着かなかった。
店にはよく船のことを教えてくれる、ジャパングレイスのヒゲの社員さんも来ていた。
ちょっと話しつつ、何かおかしいなと引っかかったが、それがなんだかわからない。
少し余ったドルでビールでも飲むかと、港前の店に向かった。
オープンテラスどころかテントだけの店だ。
カクテルとあるので、何かメキシコの珍しいカクテルかと頼んでみると「1時まで駄目だ」とのこと。
おかしいなと思ったが、国には国の流儀があり、今まで色々な国を見ていたので、酒を供するのは1時以降なのだろうと納得して船に戻る。第一、1時には船は出港してしまうのだ。
船に戻ろうと歩いていると、CCさんやGETの先生が汗だくで走っていく。
社員やCCさん、GETの先生はリミットの1時間前に戻らなければならず、今走っているのは完全にアウトだ。
船に近づいたところで、いつも釣りをしている車いすの方が、大きな声で私を呼ぶ。
「帰船リミット変わったよー!」
さっき船員さんがいた違和感がようやくわかった。
帰船リミットまで1時間なのに、船員さんが外にいること自体おかしいのだ。
GETの先生の中には、やれやれという顔でまた船から出てくる人もいる。
どうも、14時くらいまで伸びたようだ。
私はお土産を一度部屋に置き、昼食を食べて再び外へ出る。
ちょうど1時をすぎており、先ほどの店に行くと「カクテルかい?」と聞いてきた。さっきはいない店員さんがいる。
出されたものを見てビックリした。
カクテルはカクテルでも、シュリンプカクテルだったのだ。
女将さんの話では、1時に漁から戻ってきて、採りたてのえびだとのこと。
お金はこれしかない!と言うと、充分だという。
フリー(タダ)だと言って、アボガドのペーストやシバ漬けみたいなものを出してきた。
青唐辛子のようなものはやはり辛く、火を噴きかけてシバ漬けに手を出すと、なんとこれが一番辛い。
女将さんがなんか言っていたが、もはや翻訳する能力すら消えていた。
どくとるマンボウ航海記では、コロンボで辛すぎるカレーを食べた北壮夫氏が「飛び上がらないように椅子にしがみついて…」という表現をしているが、まさにそんな感じだ。
というか、いくらどくとるマンボウ航海記にあこがれているとはいえ、こんなことまで一緒にしたくはない。
日本語で思わず「何か飲み物!」と言うと、女将さんがこれでいいかとジュースを持ってきた。
炭酸りんごジュースノンシュガーといった風味のもので、中々美味しい。写真のジュースビン後部に映っている緑の液体はハラペーニョだろう。これは色とは裏腹に、とんでもなく辛い。
口内の火事が収まって改めて女将さんに話を聞くと「辛いのが駄目なら、アボガドしかないよ?他にはライムね」と言われてしまった。トッピングはみな辛いモノだったようだ。女将さんがアボガドをさらにサービスしてくれる。
私は基本的に、こういった場所の食事はお腹を壊しがちだが、グアテマラの謎の果物事件で耐性がついたのか、思ったよりこの店が衛生的だったのか、お腹は壊さずに済んだ。
この店はよほど良心的だったのか、先に財布の中身を見せたおかげか、ジュースとあわせて9ドルしか受け取らなかった。
腹ごなしというより、胃腸に溜まった辛いものをナントカするべく、店を出てもう少し歩き回る。
小道が山の上まで続いている。
よくわからない石碑がある。
スクリューのモニュメントもある。
やはり、一番目立つのはカジキマグロのモニュメントのようだ。
よくわからないが形から察するに、なにか労役を受けた歴史がこの町にはあるのだろう。
港は静かで平和で、鳩がのんびりと日向ぼっこをしていた。
コンクリートのくぼみにすっぽり収まっている姿が愛らしい。
オセアニック号に人が続々と戻っているのを見て、私も帰ることにした。
誰かが、船のデッキから凧を飛ばしているようだ。
港の反対側から、また雲が多く湧き出ているのが見えた。
と、同時に、何か看板が船の入り口前に置かれていた。
帰船リミットは16時に変更。ずいぶんと遅くなったものである。
後々に聞いたが、当初はあんなオンボロ給油船ではなく、もっと良い給油船を手配していたそうだ。
だが、グアテマラの台風でその給油船は来られなくなり、代わりに来たのがあのオンボロ給油船だったのだ。
古いので給油速度が遅く、結果的に何時間もオーバーしてしまったとのこと。
ただでさえスケジュールが遅れているのに、これは痛い。
横浜に着くのが一日でも遅れると、キチキチのスケジュールで出入港を繰り返すピースボートにとってはかなり痛いことになる。
その後もやはり出航は遅れ、結果的に船が出たのは18時過ぎ。
ロス6時間で、船は急ぎ最後の寄港地、エンセナーダに向かう。
急がせすぎて、また足くじかなきゃいいのだが…。
このマンサニージョのプエルト・デ・マンサニージョ・フレンテ・デ・モヌメント・ペス・ベラに朝の6時、オセアニック号は入港した。
どうも、中南米の港の名前は呪文のごとく長い気がする。
朝早く寄航したものの、実はそんなに長い時間この港にはいない。
12時が帰船リミットで、13時には出航してしまう。
これは、ここでティオティワカン遺跡観光組を降ろすことが目的、ということが一因にもなっている。
降ろして、給油して、とっとと最後の港エンセナーダに向かうというわけだ。従って、ここだけの観光ツアーはビーチ送迎バスとマンサニージョ観光のみとなる。
ビーチ送迎バスはオープン形式の屋根付き馬車のようなバスで、中々面白かったとのこと。
ピースボートの観光ツアーは、送迎モノはツマラナイことが多く、こういう感想は珍しい。
私はどうにも体が重く、起き上がれたのは11時前だった。
着替えて、せかせかと船を出る。
外はじんわりと暑いが、熱帯の暑さとは少し違っていた。
マンサニージョはカジキマグロを釣る大会で有名なところだそうで、大きなカジキマグロのモニュメントが有名だという。
それは、港を出てすぐのところにあった。
大きい。
残念ながら、それ以上の感想は浮かんでこない。
一帯は公園として整備されているようだ。
それにしても人影はない。
中々見通しの良い港で、オセアニック号がはっきりと見える。
他の船も停泊していた。
この船は、潜水艇を積んでいるようだ。何かの探査船なのだろうか。
タグボートも堂々と係留されている。
タグボートは港や会社によって馬力や形が違うが、ここのタグボートの色は空色で美しい。
パイロットボートも港湾の中を走り回っていた。
オセアニック号の出航までわずかだから来たのかと思えば、通り越して他へ行ってしまった。
オセアニック号の横腹には、古めかしい給油船がコバンイタダキのようにくっついていた。
言ってはなんだが、ここまでボロボロの給油船は今まで見たことがない。
港の前の土産物屋が並ぶ建物を見て回る。
ここで布やキーホルダー、絵葉書などを買い込む。グアテマラの土産物屋と違い、客引きなどはしつこくないし、値段もほぼ適正。したがって、値引き交渉は難しい。
そういえば、メキシコから出した最後の手紙は、結局家には着かなかった。
店にはよく船のことを教えてくれる、ジャパングレイスのヒゲの社員さんも来ていた。
ちょっと話しつつ、何かおかしいなと引っかかったが、それがなんだかわからない。
少し余ったドルでビールでも飲むかと、港前の店に向かった。
オープンテラスどころかテントだけの店だ。
カクテルとあるので、何かメキシコの珍しいカクテルかと頼んでみると「1時まで駄目だ」とのこと。
おかしいなと思ったが、国には国の流儀があり、今まで色々な国を見ていたので、酒を供するのは1時以降なのだろうと納得して船に戻る。第一、1時には船は出港してしまうのだ。
船に戻ろうと歩いていると、CCさんやGETの先生が汗だくで走っていく。
社員やCCさん、GETの先生はリミットの1時間前に戻らなければならず、今走っているのは完全にアウトだ。
船に近づいたところで、いつも釣りをしている車いすの方が、大きな声で私を呼ぶ。
「帰船リミット変わったよー!」
さっき船員さんがいた違和感がようやくわかった。
帰船リミットまで1時間なのに、船員さんが外にいること自体おかしいのだ。
GETの先生の中には、やれやれという顔でまた船から出てくる人もいる。
どうも、14時くらいまで伸びたようだ。
私はお土産を一度部屋に置き、昼食を食べて再び外へ出る。
ちょうど1時をすぎており、先ほどの店に行くと「カクテルかい?」と聞いてきた。さっきはいない店員さんがいる。
出されたものを見てビックリした。
カクテルはカクテルでも、シュリンプカクテルだったのだ。
女将さんの話では、1時に漁から戻ってきて、採りたてのえびだとのこと。
お金はこれしかない!と言うと、充分だという。
フリー(タダ)だと言って、アボガドのペーストやシバ漬けみたいなものを出してきた。
青唐辛子のようなものはやはり辛く、火を噴きかけてシバ漬けに手を出すと、なんとこれが一番辛い。
女将さんがなんか言っていたが、もはや翻訳する能力すら消えていた。
どくとるマンボウ航海記では、コロンボで辛すぎるカレーを食べた北壮夫氏が「飛び上がらないように椅子にしがみついて…」という表現をしているが、まさにそんな感じだ。
というか、いくらどくとるマンボウ航海記にあこがれているとはいえ、こんなことまで一緒にしたくはない。
日本語で思わず「何か飲み物!」と言うと、女将さんがこれでいいかとジュースを持ってきた。
炭酸りんごジュースノンシュガーといった風味のもので、中々美味しい。写真のジュースビン後部に映っている緑の液体はハラペーニョだろう。これは色とは裏腹に、とんでもなく辛い。
口内の火事が収まって改めて女将さんに話を聞くと「辛いのが駄目なら、アボガドしかないよ?他にはライムね」と言われてしまった。トッピングはみな辛いモノだったようだ。女将さんがアボガドをさらにサービスしてくれる。
私は基本的に、こういった場所の食事はお腹を壊しがちだが、グアテマラの謎の果物事件で耐性がついたのか、思ったよりこの店が衛生的だったのか、お腹は壊さずに済んだ。
この店はよほど良心的だったのか、先に財布の中身を見せたおかげか、ジュースとあわせて9ドルしか受け取らなかった。
腹ごなしというより、胃腸に溜まった辛いものをナントカするべく、店を出てもう少し歩き回る。
小道が山の上まで続いている。
よくわからない石碑がある。
スクリューのモニュメントもある。
やはり、一番目立つのはカジキマグロのモニュメントのようだ。
よくわからないが形から察するに、なにか労役を受けた歴史がこの町にはあるのだろう。
港は静かで平和で、鳩がのんびりと日向ぼっこをしていた。
コンクリートのくぼみにすっぽり収まっている姿が愛らしい。
オセアニック号に人が続々と戻っているのを見て、私も帰ることにした。
誰かが、船のデッキから凧を飛ばしているようだ。
港の反対側から、また雲が多く湧き出ているのが見えた。
と、同時に、何か看板が船の入り口前に置かれていた。
帰船リミットは16時に変更。ずいぶんと遅くなったものである。
後々に聞いたが、当初はあんなオンボロ給油船ではなく、もっと良い給油船を手配していたそうだ。
だが、グアテマラの台風でその給油船は来られなくなり、代わりに来たのがあのオンボロ給油船だったのだ。
古いので給油速度が遅く、結果的に何時間もオーバーしてしまったとのこと。
ただでさえスケジュールが遅れているのに、これは痛い。
横浜に着くのが一日でも遅れると、キチキチのスケジュールで出入港を繰り返すピースボートにとってはかなり痛いことになる。
その後もやはり出航は遅れ、結果的に船が出たのは18時過ぎ。
ロス6時間で、船は急ぎ最後の寄港地、エンセナーダに向かう。
急がせすぎて、また足くじかなきゃいいのだが…。
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