ガトゥン閘門観光~パナマ・クリストバル~ [寄港地]
パナマ運河の入り口にあるクリストバルの港に着いたのは、お昼の12時だった。
早朝に入港する事が多いピースボートとしては、珍しい時間帯だ。
寄港地はクリストバルとなっているが、港はコロン2000・クルーズターミナルとなっている。
地図を見ると、コロンとクリストバルは隣同士の町だ。
ガトゥン閘門だけの観光は、ピースボートスタッフがもっともお勧めしないツアーの一つとなっている。
しかし私は機械が好きで、ガトゥン閘門をじっくり見たいのでこのツアーにした。プラスアルファでボートに乗れるツアーもあったが、私は乗り物に酔い易いため遠慮しておく。
ちなみに、スタッフがお勧めでもっとも人気があるパナマツアーといえば、先住民族と交流するツアーだ。
そろそろ港とのことでデッキに出ると、さすがは運河のお膝元、立派なタグボートがついている。
なぜか、小船もくっついている。
船を係留するためのロープを受け取りに来た小船のようだ。
港は観光地というより、ディズニーランドのショップのような色とりどりのパステルカラーで塗られた建物が見える。
ただ、ターミナル以外は殺風景で荒涼感すら漂う。
クリストバルはピースボートの全寄港地で一番危険とされており、19時以降はターミナル外に出られないし、22時には船内に戻っていないといけない。
話を戻して入港時。下を見ると、サイドスラスターの起動にあわせ、水の色がはっきり変わった。
海底に泥というか、ヘドロがたまっているのだろう。きれいな海とはいえない。
今までの港は、ロープを4本か5本ほどつないでいたが、ずいぶんとたくさんのロープをつないでいるように見える。
人の数も多い。
これは、港自体に広さがないためのようで、ロープを縛る場所があちこちに点在しているためと思われる。
そういえば、いつも船尾にパナマの旗が掲げられていたが、パナマ通過中はメインマストに旗が移動する。
これは、その国を通過中はその国の旗をメインマストに掲げる慣わしがあるからだ。
船尾に掲げている旗は、船の母港となる国の旗で、オセアニック号はパナマ船籍なので通常は船尾にパナマ国旗がある。
クリストバルの反対側は、クレーンが立ち並ぶ。
運河の出入り口だからか、今まで見た港の中で一番多く感じる。
さて、昼食後すぐにツアーの集合となった。
バスがぐるりと、半円形のバスターミナル内に並ぶ。
クルーズディレクター氏はお留守番とのことで、ターミナルの門前でお見送りをしていた。
バスは陽気なガイドさんと共に、一路ガトゥン閘門へ向かう。
バスから見ると、日本人どころか東洋人もほとんど見ない。
日産のトラックが市街にあった。パナマでも日本車は人気があるのだろうか。
もしかしてバスも?と思ったら…
こちらは韓国のヒュンダイ製だった。
世界各地にあると自負するマクドナルドは、パナマにもきちんとあった。
まぁ、運河一帯は十数年前までアメリカ領だったから、マクドナルドがあってもおかしくない。
ガイドさんによると、コロンは信号機がないそうだ。
よくもまぁ事故が起きないものである。
街中を走るバスは、全てがアメリカのスクールバスの払い下げ品で、それを派手に塗り替えているとのこと。
…という話なのだが、写真のバスはそれほど派手ではない。
途中で、パナマ運河鉄道の駅を過ぎた。
ちょうど電車が停まっていたが、木が邪魔で、バスは動いたままで、かなりシビアな撮影になった。
これでは何がなんだかわからない。
客車は比較的きれいに撮影できた。
この鉄道はパナマ運河と並行し、太平洋側まで続いている。初代の鉄道路線は、パナマ運河の工事と共に、ガトゥン湖の底に今も沈んでいる。
街から出てしばらく行くと、高級住宅街だという場所が見えてきた。元々はアメリカ軍の住居だったらしい。
そこも過ぎると今度は家一件すらない。
パナマ運河は現在拡張工事をしており、あちらこちらに工事現場がある。
もしかしたら、新運河に付帯する施設かもしれないが、詳細はわからない。
途中に大きな工場のような建物があったが、それは元はアイスクリームの工場で、現在は刑務所として使用しているとか。治安の問題はかなり根深そうだ。
治安といえば、パナマには日本人が全くおらず、東洋人も珍しいとのこと。すぐに観光客とばれてしまうために危険なのだ。
ガイドさんによれば、パナマはそれまで確たる収入がなかったが、これからは運河という収入がある。
資源も、産物も特に目立ったものがないパナマは、これからどうすればいいのか。運河をどう使えば良いのか。
パナマは運河を観光資源とした観光立国になって、国を支えていく予定でいるとのこと。
まず、治安を良くする為に警察官の教育から始めていて、いつかは国中を観光客が安心して歩ける国にしたいという。警察は、観光客の保護(危険な目にあわないようにすること)にも力を入れはじめているとのこと。
運河の収入は莫大だが、維持費もかかる。さらに、新運河の建設にもお金がかかる。
運河だけに頼っていてはいけないのだということが、パナマの出した答えだった。
その願いが現実となり、ピースボートのパンフレットからも、危険の文字が消えることを祈りたい。
ガトゥン閘門までは、密林の中も通った。運がよければナマケモノなども見られるとのことだが、滅多に人の目に触れるところには出てこないらしい。
やがて、パナマ運河庁のマークがある看板が見えてきた。
と、その反対側に小さな動物が出てきた。
通訳さんの話では、ハナグマの一種とのこと。
さて、熱帯特有の蒸したじめっとした空気の中、ガトゥン閘門についた。
バスを降りてすぐに、船を牽引する電気機関車を発見。
これは日本の東洋電機製造のものだそうで、安定した性能と出力が好評とのこと。
余談だが、パナマ運河の建設には、日本人の技師も関わっている。
青山士という人物で、パナマ運河建設に携わった後に日本に戻り、放水路の建設など治水関係の工事を指揮したという。
世界の反対側で日本の活躍を見るのは嬉しいことだ。
こちらは昔の牽引機関車で、アメリカ製だ。現在では使用されていない。
見上げるような高台に、見学施設があった。
もちろんのこと、階段だ。お年寄りやひざなどに問題がある人にはかなりきつい。要望でも出せば、そのうちエレベーターでもつくのだろうか。
階段の手前には、大きな歯車が鎮座していた。
ガトゥン閘門だけでなく、パナマ運河の閘門全ての駆動部分の模型か、使っていたものを展示してあるようだ。
階段を登っていると、電気機関車がすぐ近くを通る。
なんだか遊園地のアトラクションを見ているような感覚だ。電気機関車なので、あまり音はしない。
ようやく見学用のスペースに来ると、目の前を巨大なタンカーが横切っていった。
パナマ運河は「パナマックス」という船の単位があるように、特に幅が制限されている。
現在作られている新運河は、この幅を大きくして、もっと大きな船も通れるようにするのだとか。
しかし、世界にはこの新運河をもってしてもまだ幅が足りないという、超巨大幅の船があるという。
電気機関車は前だけでなく、後方にもつく。最大で8つの電気機関車が牽引するとのこと。
改めて下のほうを見てみると、バスがずらりと並び、その向こうは密林だ。左側にある建物は、パナマ運河で働く職員の施設で、観光客は立ち入り禁止だ。ただ、トイレだけは貸してもらえる。
先ほどのタンカーは、まだ閘門を通過していなかった。
パナマ運河は、閘門式と呼ばれる形式の運河で、ガトゥン閘門から標高27メートルのガトゥン湖まで登り、ガトゥン湖からペドロ・ミゲル水門で10メートル下がり、最後にミラフロレス閘門で海水面に戻る。
この形式の運河は実は埼玉県さいたま市にもあり、見沼通船堀という名で親しまれている。たまに水門を開いて航行するお祭がある。
規模が違うとはいえ、パナマ運河より200年も前に作られたものだ。
話をパナマに戻す。
警備員だか警察官が巡回しているが、無論のこと一緒に写真におさまったりはしてくれない。
国によっては、観光地的な服装をした警官もいて、そういった服装の人は一緒に写真をとってくれたりするが、それ以外の人は断られる。考えてみれば当たり前のことだ。
いよいよ雨が降りそうなので、一足先にバスに戻ろうとすると、さっきのタンカーがまだいた。
閘門の通過はかなり時間がかかりそうだ。
また、閘門が閉まっているときだけ、門の上は作業員の通路となる。
歯車のあたりから、電気機関車が来るのを狙ったが来なかった。
今もまだ、横には先ほどのタンカーがいるのだ。来なくて当たり前である。
いよいよ空が雨模様になってくる。
このあたりは熱帯雨林で、スコールが前触れもなく突然滝のように降ってくる。
それはすでにシンガポールで体験済みだった。あの蒸し暑さは思い出しても汗が吹き出る。
お土産屋をのぞいたが、狭い上にピースボートの人たちでごった返している。絵葉書を買いたかったが諦め、噂のバルボア硬貨がパック詰めで販売されていたので、こっそり撮影する。
本当にアメリカのコインと変わりがない。
それにしても、コインはアメリカドルのデザイン変更だけ。都市の名前も、コロンとクリストバルはクリストファー・コロンブスからとったものだそうだ。太平洋側の運河入り口の都市の名前はバルボア。
この土地に元からあった名前は、運河と共に沈んでしまったのだろうか。
などと考えていたら、バスに乗り込む寸前にスコールが降りだして、結局びしょぬれになってしまった。
帰りにも、パナマ運河鉄道が停車していたので、ここぞとばかりに撮影。
スコールの雨粒が邪魔。
まさに滝のような雨で、もう諦めることにする。
港のターミナルに戻ると、雨はすでに上がっていた。
絵葉書を探して土産物屋を見て回り、1ドルのはがきを見つけたが、細かいお金が無かった。
駄目元で、ずっと昔に母が持ち帰ってきた1ドルコインを見せたところ、なぜかものすごく喜ばれて、お札を崩さずに済ませることが出来た。
アメリカの1ドルコインは、他のドルが流通する国でも断られることが多いので、これには本当に驚いた。
ついでにターミナルをぐるりと周回してみる。
ターミナルも中心付近は観光色が強いが、外周は景色が一変する。
ベネズエラのスラム街どころではない。荒れ果てた乾いた草原と、その向こうに散在する壊れかけた建物。工場ともなんともつかない建造物群。
外周の近くにいる人たちが私を見上げる目は、ややすさんでさえ見えた。
足早に歩き、ターミナル中央まで来てようやくほっとした。
危険地域を実際に見たいという若者もいたが、無謀と勇気は全く違う。ついでに言えば、彼がもしそういった地域に踏み込んで戻ったとしても、それは単に運がいいだけの話だ。
中央付近にはスーパーがあり、多少のお金でもビール数本は買える。
ビールまでバルボアの名前がついているのには驚いた。
パナマは観光立国を目指すのならば、もう少しネーミングにも気を使ったほうがいいのではなかろうか。
もう一本は、ストレートにパナマと書かれている。
やはり、ネーミングというものは大事な気がするが、思い出せばロシアの土産物屋で買ったウォッカの名前も「プーチン」だった。
そういえば、海外で販売されているビールはライト系が多く、ここも同じような感じだ。
スーパーでは50ドルどころか、10ドル紙幣も検分され、忠告も聞かずに高額紙幣を使った人は、なにか書類にサインさせられている人も見た。偽札問題はかなり深刻なようだ。
ただ、船に戻る途中で「新聞に50ドルとか100ドルは偽札と疑われて使えないって書いてあったから、使わなくて正解だったよ」などという会話を聞くと、いたずらが成功したような、作戦が成功したような、そんな不思議なくすぐったさを感じる。
途中で、親子で乗っているモンテッソーリ担当のスタッフさんとお子さんを見かけ、一緒の写真をとってあげようとしたが、お子さんがカメラを手放さない。反抗期真っ盛り?である。
新聞局にはこの子達と仲が良い局員もいるので、つい同じつもりでいたが、子どもは普段から触れていない人には正直に反応する。
結局、私のカメラで撮影し、後日現像して渡すことにした。
親子の貴重な想い出となれば幸いである。
早朝に入港する事が多いピースボートとしては、珍しい時間帯だ。
寄港地はクリストバルとなっているが、港はコロン2000・クルーズターミナルとなっている。
地図を見ると、コロンとクリストバルは隣同士の町だ。
ガトゥン閘門だけの観光は、ピースボートスタッフがもっともお勧めしないツアーの一つとなっている。
しかし私は機械が好きで、ガトゥン閘門をじっくり見たいのでこのツアーにした。プラスアルファでボートに乗れるツアーもあったが、私は乗り物に酔い易いため遠慮しておく。
ちなみに、スタッフがお勧めでもっとも人気があるパナマツアーといえば、先住民族と交流するツアーだ。
そろそろ港とのことでデッキに出ると、さすがは運河のお膝元、立派なタグボートがついている。
なぜか、小船もくっついている。
船を係留するためのロープを受け取りに来た小船のようだ。
港は観光地というより、ディズニーランドのショップのような色とりどりのパステルカラーで塗られた建物が見える。
ただ、ターミナル以外は殺風景で荒涼感すら漂う。
クリストバルはピースボートの全寄港地で一番危険とされており、19時以降はターミナル外に出られないし、22時には船内に戻っていないといけない。
話を戻して入港時。下を見ると、サイドスラスターの起動にあわせ、水の色がはっきり変わった。
海底に泥というか、ヘドロがたまっているのだろう。きれいな海とはいえない。
今までの港は、ロープを4本か5本ほどつないでいたが、ずいぶんとたくさんのロープをつないでいるように見える。
人の数も多い。
これは、港自体に広さがないためのようで、ロープを縛る場所があちこちに点在しているためと思われる。
そういえば、いつも船尾にパナマの旗が掲げられていたが、パナマ通過中はメインマストに旗が移動する。
これは、その国を通過中はその国の旗をメインマストに掲げる慣わしがあるからだ。
船尾に掲げている旗は、船の母港となる国の旗で、オセアニック号はパナマ船籍なので通常は船尾にパナマ国旗がある。
クリストバルの反対側は、クレーンが立ち並ぶ。
運河の出入り口だからか、今まで見た港の中で一番多く感じる。
さて、昼食後すぐにツアーの集合となった。
バスがぐるりと、半円形のバスターミナル内に並ぶ。
クルーズディレクター氏はお留守番とのことで、ターミナルの門前でお見送りをしていた。
バスは陽気なガイドさんと共に、一路ガトゥン閘門へ向かう。
バスから見ると、日本人どころか東洋人もほとんど見ない。
日産のトラックが市街にあった。パナマでも日本車は人気があるのだろうか。
もしかしてバスも?と思ったら…
こちらは韓国のヒュンダイ製だった。
世界各地にあると自負するマクドナルドは、パナマにもきちんとあった。
まぁ、運河一帯は十数年前までアメリカ領だったから、マクドナルドがあってもおかしくない。
ガイドさんによると、コロンは信号機がないそうだ。
よくもまぁ事故が起きないものである。
街中を走るバスは、全てがアメリカのスクールバスの払い下げ品で、それを派手に塗り替えているとのこと。
…という話なのだが、写真のバスはそれほど派手ではない。
途中で、パナマ運河鉄道の駅を過ぎた。
ちょうど電車が停まっていたが、木が邪魔で、バスは動いたままで、かなりシビアな撮影になった。
これでは何がなんだかわからない。
客車は比較的きれいに撮影できた。
この鉄道はパナマ運河と並行し、太平洋側まで続いている。初代の鉄道路線は、パナマ運河の工事と共に、ガトゥン湖の底に今も沈んでいる。
街から出てしばらく行くと、高級住宅街だという場所が見えてきた。元々はアメリカ軍の住居だったらしい。
そこも過ぎると今度は家一件すらない。
パナマ運河は現在拡張工事をしており、あちらこちらに工事現場がある。
もしかしたら、新運河に付帯する施設かもしれないが、詳細はわからない。
途中に大きな工場のような建物があったが、それは元はアイスクリームの工場で、現在は刑務所として使用しているとか。治安の問題はかなり根深そうだ。
治安といえば、パナマには日本人が全くおらず、東洋人も珍しいとのこと。すぐに観光客とばれてしまうために危険なのだ。
ガイドさんによれば、パナマはそれまで確たる収入がなかったが、これからは運河という収入がある。
資源も、産物も特に目立ったものがないパナマは、これからどうすればいいのか。運河をどう使えば良いのか。
パナマは運河を観光資源とした観光立国になって、国を支えていく予定でいるとのこと。
まず、治安を良くする為に警察官の教育から始めていて、いつかは国中を観光客が安心して歩ける国にしたいという。警察は、観光客の保護(危険な目にあわないようにすること)にも力を入れはじめているとのこと。
運河の収入は莫大だが、維持費もかかる。さらに、新運河の建設にもお金がかかる。
運河だけに頼っていてはいけないのだということが、パナマの出した答えだった。
その願いが現実となり、ピースボートのパンフレットからも、危険の文字が消えることを祈りたい。
ガトゥン閘門までは、密林の中も通った。運がよければナマケモノなども見られるとのことだが、滅多に人の目に触れるところには出てこないらしい。
やがて、パナマ運河庁のマークがある看板が見えてきた。
と、その反対側に小さな動物が出てきた。
通訳さんの話では、ハナグマの一種とのこと。
さて、熱帯特有の蒸したじめっとした空気の中、ガトゥン閘門についた。
バスを降りてすぐに、船を牽引する電気機関車を発見。
これは日本の東洋電機製造のものだそうで、安定した性能と出力が好評とのこと。
余談だが、パナマ運河の建設には、日本人の技師も関わっている。
青山士という人物で、パナマ運河建設に携わった後に日本に戻り、放水路の建設など治水関係の工事を指揮したという。
世界の反対側で日本の活躍を見るのは嬉しいことだ。
こちらは昔の牽引機関車で、アメリカ製だ。現在では使用されていない。
見上げるような高台に、見学施設があった。
もちろんのこと、階段だ。お年寄りやひざなどに問題がある人にはかなりきつい。要望でも出せば、そのうちエレベーターでもつくのだろうか。
階段の手前には、大きな歯車が鎮座していた。
ガトゥン閘門だけでなく、パナマ運河の閘門全ての駆動部分の模型か、使っていたものを展示してあるようだ。
階段を登っていると、電気機関車がすぐ近くを通る。
なんだか遊園地のアトラクションを見ているような感覚だ。電気機関車なので、あまり音はしない。
ようやく見学用のスペースに来ると、目の前を巨大なタンカーが横切っていった。
パナマ運河は「パナマックス」という船の単位があるように、特に幅が制限されている。
現在作られている新運河は、この幅を大きくして、もっと大きな船も通れるようにするのだとか。
しかし、世界にはこの新運河をもってしてもまだ幅が足りないという、超巨大幅の船があるという。
電気機関車は前だけでなく、後方にもつく。最大で8つの電気機関車が牽引するとのこと。
改めて下のほうを見てみると、バスがずらりと並び、その向こうは密林だ。左側にある建物は、パナマ運河で働く職員の施設で、観光客は立ち入り禁止だ。ただ、トイレだけは貸してもらえる。
先ほどのタンカーは、まだ閘門を通過していなかった。
パナマ運河は、閘門式と呼ばれる形式の運河で、ガトゥン閘門から標高27メートルのガトゥン湖まで登り、ガトゥン湖からペドロ・ミゲル水門で10メートル下がり、最後にミラフロレス閘門で海水面に戻る。
この形式の運河は実は埼玉県さいたま市にもあり、見沼通船堀という名で親しまれている。たまに水門を開いて航行するお祭がある。
規模が違うとはいえ、パナマ運河より200年も前に作られたものだ。
話をパナマに戻す。
警備員だか警察官が巡回しているが、無論のこと一緒に写真におさまったりはしてくれない。
国によっては、観光地的な服装をした警官もいて、そういった服装の人は一緒に写真をとってくれたりするが、それ以外の人は断られる。考えてみれば当たり前のことだ。
いよいよ雨が降りそうなので、一足先にバスに戻ろうとすると、さっきのタンカーがまだいた。
閘門の通過はかなり時間がかかりそうだ。
また、閘門が閉まっているときだけ、門の上は作業員の通路となる。
歯車のあたりから、電気機関車が来るのを狙ったが来なかった。
今もまだ、横には先ほどのタンカーがいるのだ。来なくて当たり前である。
いよいよ空が雨模様になってくる。
このあたりは熱帯雨林で、スコールが前触れもなく突然滝のように降ってくる。
それはすでにシンガポールで体験済みだった。あの蒸し暑さは思い出しても汗が吹き出る。
お土産屋をのぞいたが、狭い上にピースボートの人たちでごった返している。絵葉書を買いたかったが諦め、噂のバルボア硬貨がパック詰めで販売されていたので、こっそり撮影する。
本当にアメリカのコインと変わりがない。
それにしても、コインはアメリカドルのデザイン変更だけ。都市の名前も、コロンとクリストバルはクリストファー・コロンブスからとったものだそうだ。太平洋側の運河入り口の都市の名前はバルボア。
この土地に元からあった名前は、運河と共に沈んでしまったのだろうか。
などと考えていたら、バスに乗り込む寸前にスコールが降りだして、結局びしょぬれになってしまった。
帰りにも、パナマ運河鉄道が停車していたので、ここぞとばかりに撮影。
スコールの雨粒が邪魔。
まさに滝のような雨で、もう諦めることにする。
港のターミナルに戻ると、雨はすでに上がっていた。
絵葉書を探して土産物屋を見て回り、1ドルのはがきを見つけたが、細かいお金が無かった。
駄目元で、ずっと昔に母が持ち帰ってきた1ドルコインを見せたところ、なぜかものすごく喜ばれて、お札を崩さずに済ませることが出来た。
アメリカの1ドルコインは、他のドルが流通する国でも断られることが多いので、これには本当に驚いた。
ついでにターミナルをぐるりと周回してみる。
ターミナルも中心付近は観光色が強いが、外周は景色が一変する。
ベネズエラのスラム街どころではない。荒れ果てた乾いた草原と、その向こうに散在する壊れかけた建物。工場ともなんともつかない建造物群。
外周の近くにいる人たちが私を見上げる目は、ややすさんでさえ見えた。
足早に歩き、ターミナル中央まで来てようやくほっとした。
危険地域を実際に見たいという若者もいたが、無謀と勇気は全く違う。ついでに言えば、彼がもしそういった地域に踏み込んで戻ったとしても、それは単に運がいいだけの話だ。
中央付近にはスーパーがあり、多少のお金でもビール数本は買える。
ビールまでバルボアの名前がついているのには驚いた。
パナマは観光立国を目指すのならば、もう少しネーミングにも気を使ったほうがいいのではなかろうか。
もう一本は、ストレートにパナマと書かれている。
やはり、ネーミングというものは大事な気がするが、思い出せばロシアの土産物屋で買ったウォッカの名前も「プーチン」だった。
そういえば、海外で販売されているビールはライト系が多く、ここも同じような感じだ。
スーパーでは50ドルどころか、10ドル紙幣も検分され、忠告も聞かずに高額紙幣を使った人は、なにか書類にサインさせられている人も見た。偽札問題はかなり深刻なようだ。
ただ、船に戻る途中で「新聞に50ドルとか100ドルは偽札と疑われて使えないって書いてあったから、使わなくて正解だったよ」などという会話を聞くと、いたずらが成功したような、作戦が成功したような、そんな不思議なくすぐったさを感じる。
途中で、親子で乗っているモンテッソーリ担当のスタッフさんとお子さんを見かけ、一緒の写真をとってあげようとしたが、お子さんがカメラを手放さない。反抗期真っ盛り?である。
新聞局にはこの子達と仲が良い局員もいるので、つい同じつもりでいたが、子どもは普段から触れていない人には正直に反応する。
結局、私のカメラで撮影し、後日現像して渡すことにした。
親子の貴重な想い出となれば幸いである。
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