最後の寄港地 ~メキシコ・エンセナーダ~ [寄港地]
新聞は、記事穴埋めの2コマミニ記事の在庫がとうとう尽きてしまっていた。
漢字で寄港地クイズなども出るだけ出してしまい、残りはピースボートセンターに近い図書コーナーから、広辞苑を持ち出してきて作った。
無論、広辞苑は持ち出し禁止書籍で、ピースボートセンターとはいえ持って行ってはいけない。
したがって、私は人気が無くなる午前0時近くに「新聞局です、すぐにお返しします~!」と叫びながら広辞苑を持っていき、さらに10分で記事を仕上げてまた持って帰るという暴挙に出た。局長とクルーズディレクターにばれなければOKである(゜ー゜)ニヤリ
さて、そんな苦労をして作り上げたのは、最後の寄港地の新聞だった。
無事に最後の寄港地新聞も出した翌日、オセアニック号は69回クルーズ最後の寄港地、メキシコのエンセナーダに着いた。
10時にエンセナーダ・クルーズポート・ビレッジ2番埠頭に静々と着岸する。
港には楽団が来ていて、にぎやかに船を迎えてくれていた。
実は、プエルトケツァルから船を離れて自主行動していた子が一人おり、その子が無事ならばエンセナーダの港にいるはずだった。
私が目を皿のようにして探すまでも無く、その子はすぐに見つかった。
一人で行くとは聞いておらず、誰かと一緒だと思っていたのだが、そうではなくて一人だと新聞局員の一人から聞いたときは『事件・遭難・心配』の三文字が頭をぐるぐる回り、危うく椅子ごと後ろに倒れてしまうところだった。
無事だったのは、運が良すぎたおかげだろう。それ以外のなんでもなく、コレを読んでいる若人はこんな真似をしてはいけない。無論、中高年もだ。
さて、一旦ほっとしたところで、改めて港を見てみると、船が来たので慌てて海から上がってきたらしきアシカかオットセイのようなものがたくさんいる。
新聞局にいる動物の専門家先生に言わせると、泣き声や姿かたちでアシカとオットセイは簡単に見分けがつくとのこと。しかし、私には最後まで見分けがつかなかった。海から首だけ出して警戒するような声を出している。
場所がカリフォルニア半島なので、カリフォルニアアシカではないかと思うが、はっきりとはわからない。
やがて、船は入港手続きを終えて、出入りが自由になった。
一人旅をした子はエンセナーダに一泊したとのことで、危険な箇所もどこも知っているとのこと。
美味しいタコスの店があるとのことで、もう一人の若者と、話を聞きがてら案内してもらうことになった。
エンセナーダで観光客が歩いていいのは、観光地化されたほんの数ブロックだけである。
免税店や土産物屋、商店が並ぶ整った区域だ。
そこの西側はもう貧困層の住むバラック地域で、観光客などが足を踏み入れた暁にはどうなるかわかったものではない。
アメリカに非常に近い地域だし、港も割と整っているので、最初から港周りの一角は外国の豪華客船が寄航することを前提に街が作られているように見える。
港から見える大きなメキシコ国旗を見に行く。
なにやらいわくがポールの下に書かれていたが、読み取ることはできなかった。
この大きなメキシコ国旗の一帯は公園になっている。
ここから見ると、立派な港が額縁になり、オセアニック号もかなり堂々とした豪華船に見え…なくもない気がする。
さてお目当てのタコスはというと、ブランドショップなどが並ぶ街路の一角にひっそりと止まるトラックがその店だった。
昔厨房にいたためか、どうも衛生状態が気にかかるつくりだが、、まぁ食べてみないとわからない。
魚介類はご遠慮して、マンサニージョのシバ漬けの経験から赤いものもご遠慮すると、アボガドくらいしか残らない。
火を通したえびのすり身を揚げたような謎のさつま揚げ状のものとアボガド、お店の人が辛くないと主張するソースで食べる。ここまで旅してくると、言葉がわかる云々ではない。もはや勘の世界である。
タコスはかなり旨く、というより、本当にタコスなのかどうか実はよくわからない。下地のタコス状のものはソースせんべいをもっと固くしたような感じで、パリパリしている。その上に様々な具材を乗せて食べるといった風情だ。下がパリパリなので、具は水気の多いものがほとんどだ。
地元の人が気軽に食べに来る店だそうで、立て看板には地元の新聞の切り抜き記事や、雑誌の切り抜きらしき記事がたくさん張られている。
店に来るお客さんは、東洋人がいると多少は驚いた顔をするが、取り立てて話しかけてくるわけでもなく、普通に注文してその場で食べたり持って帰ったりしている。
ピースボートはあまり金持ちが乗る船ではないので、ブランド街はひっそりしていた。
どちらにせよ、最後の寄港地ではあまり金も残っていない。
食べ終わった後、港を通り越して東へ歩いていってみた。
アシカたちがいたのが港の東側で、もしかしたら間近で写真でも撮れるかもと思って行ったのだが、歩いても歩いても荒涼とした(暑いが)風景が広がるのみで、海は遠く、アシカどころかカラスもいない。
そのうち、大きな施設らしきところの前に出たが、そこはどうも軍事施設らしい。アシカのいる岬はこの先にあるはずで、なるほど、軍事施設ならばアシカも安心である。
追い返されるかと思いつつ、道を身振り手振りで尋ねると、近くにビーチがあるとの話が聞けた。もう少し東へ歩く。
すると、貸し馬屋らしき施設の向こうに、広大な砂浜のビーチが見えてきた。
簡易トイレなども揃っており、目の前にはコンビニエンスストアもある。
ピースボートの乗船客も何名かいて、新聞局やブッカーメンバーの姿も見えたので行ってみる事にした。
どうも若者同士で最後の焼肉パーティとしゃれ込んだらしいが、肉を買い込みすぎて食べきれず、ちょっと困っていたところだという。
お相伴にあずかり、肉を焼いたりしつつしばらく話していた。
途中でコンビニエンスストアに行ってみたが、港から遠いせいかドルは使えないとのこと。かといってペソもなく、買い物は諦めた。
だいぶ肉を焼いたがまだまだ余り、私も肉を焼くのには半ば飽きてしまった。
そこで彼らは地元民を誘い、地元の海水浴客に焼肉を振舞い始めた。コレが本当の草の根交流なのかもしれない。
自分たちがすっかり燻されたところで、私たちは焼肉パーティの彼らと別れ、一旦船の近くに戻ることにした。
傾きかけた陽は暑く、地面がじりじり焼けているのがわかる。
どうも久々に私は熱中症を発したようで、激しく頭痛がしてきたので、まだ街を見るという二人とは別れ、船に戻った。
港の売店でジュースを買って飲むと、すっきり爽やか。
脱水症状が一時的に収まったようで、とりあえず船に戻らずに港のベンチで休む。
まだ少し重い頭を抱えつつ、最後の土産ということで、土産物屋を回ってみた。
これといって「メキシコらしい」物は少なく、かといってソンブレロなど買い込むわけにもゆかぬ。
ポンチョは寒い時期なら買ったかもしれないが、この暑い中では見るだけで汗が出る。
絵葉書を買い込み、いくつかジュースを買い、数点アクセサリを買って船に戻る。コロナビールもあったが、船でも売られることは知っていたので、あえて買わなかった。
ジュースを飲みながら葉書を書き、急ぎ船のポストに締め切り前に投函する。が、残念なことに家にこの最後の葉書は届かなかった。したがって、出した友人宅にも届いているか甚だ怪しい。
この船は19時にエンセナーダを出港する。
そのとき、最後の出港式があるとのことで、そのときまで体調を整えようと、とりあえず買ってきたジュースを飲んだ。
ポカリスエットはいくつかの寄港地でも見たが、そろそろ、アクエリアスあたりの味が懐かしい。
漢字で寄港地クイズなども出るだけ出してしまい、残りはピースボートセンターに近い図書コーナーから、広辞苑を持ち出してきて作った。
無論、広辞苑は持ち出し禁止書籍で、ピースボートセンターとはいえ持って行ってはいけない。
したがって、私は人気が無くなる午前0時近くに「新聞局です、すぐにお返しします~!」と叫びながら広辞苑を持っていき、さらに10分で記事を仕上げてまた持って帰るという暴挙に出た。局長とクルーズディレクターにばれなければOKである(゜ー゜)ニヤリ
さて、そんな苦労をして作り上げたのは、最後の寄港地の新聞だった。
無事に最後の寄港地新聞も出した翌日、オセアニック号は69回クルーズ最後の寄港地、メキシコのエンセナーダに着いた。
10時にエンセナーダ・クルーズポート・ビレッジ2番埠頭に静々と着岸する。
港には楽団が来ていて、にぎやかに船を迎えてくれていた。
実は、プエルトケツァルから船を離れて自主行動していた子が一人おり、その子が無事ならばエンセナーダの港にいるはずだった。
私が目を皿のようにして探すまでも無く、その子はすぐに見つかった。
一人で行くとは聞いておらず、誰かと一緒だと思っていたのだが、そうではなくて一人だと新聞局員の一人から聞いたときは『事件・遭難・心配』の三文字が頭をぐるぐる回り、危うく椅子ごと後ろに倒れてしまうところだった。
無事だったのは、運が良すぎたおかげだろう。それ以外のなんでもなく、コレを読んでいる若人はこんな真似をしてはいけない。無論、中高年もだ。
さて、一旦ほっとしたところで、改めて港を見てみると、船が来たので慌てて海から上がってきたらしきアシカかオットセイのようなものがたくさんいる。
新聞局にいる動物の専門家先生に言わせると、泣き声や姿かたちでアシカとオットセイは簡単に見分けがつくとのこと。しかし、私には最後まで見分けがつかなかった。海から首だけ出して警戒するような声を出している。
場所がカリフォルニア半島なので、カリフォルニアアシカではないかと思うが、はっきりとはわからない。
やがて、船は入港手続きを終えて、出入りが自由になった。
一人旅をした子はエンセナーダに一泊したとのことで、危険な箇所もどこも知っているとのこと。
美味しいタコスの店があるとのことで、もう一人の若者と、話を聞きがてら案内してもらうことになった。
エンセナーダで観光客が歩いていいのは、観光地化されたほんの数ブロックだけである。
免税店や土産物屋、商店が並ぶ整った区域だ。
そこの西側はもう貧困層の住むバラック地域で、観光客などが足を踏み入れた暁にはどうなるかわかったものではない。
アメリカに非常に近い地域だし、港も割と整っているので、最初から港周りの一角は外国の豪華客船が寄航することを前提に街が作られているように見える。
港から見える大きなメキシコ国旗を見に行く。
なにやらいわくがポールの下に書かれていたが、読み取ることはできなかった。
この大きなメキシコ国旗の一帯は公園になっている。
ここから見ると、立派な港が額縁になり、オセアニック号もかなり堂々とした豪華船に見え…なくもない気がする。
さてお目当てのタコスはというと、ブランドショップなどが並ぶ街路の一角にひっそりと止まるトラックがその店だった。
昔厨房にいたためか、どうも衛生状態が気にかかるつくりだが、、まぁ食べてみないとわからない。
魚介類はご遠慮して、マンサニージョのシバ漬けの経験から赤いものもご遠慮すると、アボガドくらいしか残らない。
火を通したえびのすり身を揚げたような謎のさつま揚げ状のものとアボガド、お店の人が辛くないと主張するソースで食べる。ここまで旅してくると、言葉がわかる云々ではない。もはや勘の世界である。
タコスはかなり旨く、というより、本当にタコスなのかどうか実はよくわからない。下地のタコス状のものはソースせんべいをもっと固くしたような感じで、パリパリしている。その上に様々な具材を乗せて食べるといった風情だ。下がパリパリなので、具は水気の多いものがほとんどだ。
地元の人が気軽に食べに来る店だそうで、立て看板には地元の新聞の切り抜き記事や、雑誌の切り抜きらしき記事がたくさん張られている。
店に来るお客さんは、東洋人がいると多少は驚いた顔をするが、取り立てて話しかけてくるわけでもなく、普通に注文してその場で食べたり持って帰ったりしている。
ピースボートはあまり金持ちが乗る船ではないので、ブランド街はひっそりしていた。
どちらにせよ、最後の寄港地ではあまり金も残っていない。
食べ終わった後、港を通り越して東へ歩いていってみた。
アシカたちがいたのが港の東側で、もしかしたら間近で写真でも撮れるかもと思って行ったのだが、歩いても歩いても荒涼とした(暑いが)風景が広がるのみで、海は遠く、アシカどころかカラスもいない。
そのうち、大きな施設らしきところの前に出たが、そこはどうも軍事施設らしい。アシカのいる岬はこの先にあるはずで、なるほど、軍事施設ならばアシカも安心である。
追い返されるかと思いつつ、道を身振り手振りで尋ねると、近くにビーチがあるとの話が聞けた。もう少し東へ歩く。
すると、貸し馬屋らしき施設の向こうに、広大な砂浜のビーチが見えてきた。
簡易トイレなども揃っており、目の前にはコンビニエンスストアもある。
ピースボートの乗船客も何名かいて、新聞局やブッカーメンバーの姿も見えたので行ってみる事にした。
どうも若者同士で最後の焼肉パーティとしゃれ込んだらしいが、肉を買い込みすぎて食べきれず、ちょっと困っていたところだという。
お相伴にあずかり、肉を焼いたりしつつしばらく話していた。
途中でコンビニエンスストアに行ってみたが、港から遠いせいかドルは使えないとのこと。かといってペソもなく、買い物は諦めた。
だいぶ肉を焼いたがまだまだ余り、私も肉を焼くのには半ば飽きてしまった。
そこで彼らは地元民を誘い、地元の海水浴客に焼肉を振舞い始めた。コレが本当の草の根交流なのかもしれない。
自分たちがすっかり燻されたところで、私たちは焼肉パーティの彼らと別れ、一旦船の近くに戻ることにした。
傾きかけた陽は暑く、地面がじりじり焼けているのがわかる。
どうも久々に私は熱中症を発したようで、激しく頭痛がしてきたので、まだ街を見るという二人とは別れ、船に戻った。
港の売店でジュースを買って飲むと、すっきり爽やか。
脱水症状が一時的に収まったようで、とりあえず船に戻らずに港のベンチで休む。
まだ少し重い頭を抱えつつ、最後の土産ということで、土産物屋を回ってみた。
これといって「メキシコらしい」物は少なく、かといってソンブレロなど買い込むわけにもゆかぬ。
ポンチョは寒い時期なら買ったかもしれないが、この暑い中では見るだけで汗が出る。
絵葉書を買い込み、いくつかジュースを買い、数点アクセサリを買って船に戻る。コロナビールもあったが、船でも売られることは知っていたので、あえて買わなかった。
ジュースを飲みながら葉書を書き、急ぎ船のポストに締め切り前に投函する。が、残念なことに家にこの最後の葉書は届かなかった。したがって、出した友人宅にも届いているか甚だ怪しい。
この船は19時にエンセナーダを出港する。
そのとき、最後の出港式があるとのことで、そのときまで体調を整えようと、とりあえず買ってきたジュースを飲んだ。
ポカリスエットはいくつかの寄港地でも見たが、そろそろ、アクエリアスあたりの味が懐かしい。
コメント 0