ポーランドのグダンスク(グダニスク)は、ドイツ語ではダンツィヒと表記され、私もなぜかダンツィヒの名で覚えていた都市である。おかげで、何度となくダンツィヒと口走ってしまい、話が合わないこともしばしばだった。
 バルト海に面する港町グダンスクは、近隣の都市グディニア、ソポトとあわせて三つ子都市と呼ばれることもあるようだ。
 中世ではドイツ騎士団に占拠されたこの地は、東欧革命の折にレフ・ワレサ氏率いる労働組合「連帯」が結成され、やがて東欧で大きくなる民主化のうねりのさきがけとなった場所でもある。
 私の大学での卒業論文は東欧革命とソ連型社会主義の崩壊についてであり、卒論で幾度となく目にしたこの「連帯」が始まった地を踏むことは、このクルーズで一番楽しみにしている場所でもあった。
 私が東欧革命に興味を持ったのは、テレビでベルリンの壁の崩壊のニュースを見たときだった。
 人々の歓喜の表情と壊された壁。壁の向こうの世界は一体何だったのか?
 滑り込んだ大学が国際関係だったので、私は卒論のテーマに東欧革命を選ぶことができた。
 民主化という風は東欧一帯を吹き荒れ、鉄のカーテンを開き、ベルリンの壁を壊し、やがてソ連型共産主義を崩壊に導いていく。
 その風が最初に吹きし地に、私は降り立つ。