8時ごろ、朝食をとるために再び起床。
スエズ運河の電波塔が遠くに見える。
多いのは貨物船で、客船はほとんど見なかった。時間的な問題もあるのかもしれない。
オープンデッキが開放され、そこから見ると右も左も平たい土地が広がる。
船のマストには、エジプトの旗が掲げられていた。
左端に見える赤白の旗は、パイロット乗船中という意味だそうだ。
ちなみに、プールサイドで寝こけている人を発見。
よほど運河に入る瞬間が見たかったので、そこで頑張っていたが結局寝てしまったのだろう。
あまりに良く寝ているので、誰も起こさなかったのかもしれない。私も起こさなかった。
スエズ運河にはリトルビター湖、グレートビター湖、ティムサ湖という三つの湖がある。
中でも一番大きいのがグレートビター湖。リトルビター湖はほぼ、グレートビター湖とくっついている。
そして湖畔に、イスマイリヤという運河の中間点に位置する町がある。この町があるのが、ティムサ湖の湖畔だという。
バイパス部分と湖を使い、計4ヶ所で船のすれ違いが可能なのだそうだ。
波はほとんどなく、航跡が波紋のように広がって対岸にぶつかり、またそこから波が跳ね返っていく。
穏やかなスエズ運河だが、歴史はとても穏やかなものではない。
この運河を造ったのは、フランスのレセップスという技師。多くの奴隷扱いで掘削したエジプト人の犠牲の元に運河は完成した。
地中海から直接紅海、インド洋と出られるこの運河は、戦争のタネになったりイギリスに支配されたりと波乱万丈人生。
しばらく行くと、石碑が見えてきた。
石碑には『14 DEFENSE・DV・CANAL・DE・SUEZ 18』と書かれていた。
数字が1914年~1918年と仮定すると、ちょうど第一次世界大戦の期間となる。スエズ運河を防衛した記念碑なのだろうか。
運河の岸辺には、戦車なども多く見られる。
中国、ベトナム、ヨルダンでは「軍事施設にカメラを向けてはいけない。軍や警察に引っ張られる」と注意を受けていたので、それらの国ではウッカリした場所にカメラを向けないように注意していた。
ヒドイとカメラを所持していただけで難癖付けられて引っ張られる可能性もある国もあるようなので、変な場所にはカメラを向けない入り込まないことが、どこの国でも身の安全を保証する手段かもしれぬ。
時々、運河地帯の住民が、小船で運河を渡っているのが見える。
渡っているのでなく、もしかしたら魚釣りなのかもしれない。
余談だが、ここは小バエが多かった。昼食時は手で払いながらでないと食べ物を口に運べないほどで、後で思うと世界でもっとも小バエが船内に集まっていたのはここだったと思う。
監視所のような建物が、運河には散見されたが…
今も実際に使われているかは不明である。
そのうちに、大きな橋が近づいてきた。
日本とエジプトが協力してかけた橋だそうだ。
橋の真ん中にはエジプトと日本の国旗が掲げられている。
かなり大きく、立派な橋である。多数の車が通っているのが見えた。
運河の河岸に町が多くなってくる。
すると、フェリーらしき船があるのを発見。
まるで車列を護衛するかのように、戦車も見える。
おかしいな、ずいぶん早く着きそうじゃないかと思っていると、船内放送でポートサイド到着が早まるとのこと。
当初の予定では23時に到着予定だったポートサイドに着くのは、17時と早まった。
当然、新聞作業も急ピッチで進めることとなる。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ・・・