旅の終わり [地球一周の船旅]
8月2日は素晴らしく晴れた暑い日だった。
70回クルーズは横浜港ではなく、東京の晴海ふ頭から出ることになっていたので、見送りに出かけた。
港に止まっているオセアニック号が見えたが、私たちが101日家としていた場所とは思えないほど余所余所しかった。
一緒にいた一人が言った。「なんだか、私たちが見ていたオセアニック号ではないみたい」
まさにその通りで、もうオセアニック号は69回クルーズではなく、70回クルーズの顔になっていた。
横浜港よりだいぶん小ぶりな晴海ふ頭は、人で溢れて身の置き場も無いほどだ。
それでもなんとか別れの言葉や励ましの言葉などを交わしているうちに、70回クルーズに乗るメンバーは船に入らないといけなくなった。
こちらも昼食を食べたりして再び晴海ふ頭に戻り、15時に出航となった。
元ピースボートさいたまメンバーが垂れ幕を掲げる。
どこかで見たような名言で、ピッタリあっているようだが、キミタチ、それは引退の言葉だぞ…。
69回クルーズでは無かった、テープがたなびく出航シーン。
私も受け取る側で何度か見ているが、これはどうも見送り側に届けることが難しい。
かといって、見送り側、つまり下から上に投げることはもっと難しい。
などとやっている間に、船が港を離れ始めた。
オセアニック号は晴海ふ頭の中で一回転するようだ。
二艘のタグボートに引かれたり押されたりしながら、オセアニック号はくるりと一回転した。
そして真っ白い煙をはきながら、レインボーブリッジに向かって一直線に走り出した。
やがて船はレインボーブリッジを越えて見えなくなった。
このとき、私の旅が終わったのだと感じた。
70回クルーズは横浜港ではなく、東京の晴海ふ頭から出ることになっていたので、見送りに出かけた。
港に止まっているオセアニック号が見えたが、私たちが101日家としていた場所とは思えないほど余所余所しかった。
一緒にいた一人が言った。「なんだか、私たちが見ていたオセアニック号ではないみたい」
まさにその通りで、もうオセアニック号は69回クルーズではなく、70回クルーズの顔になっていた。
横浜港よりだいぶん小ぶりな晴海ふ頭は、人で溢れて身の置き場も無いほどだ。
それでもなんとか別れの言葉や励ましの言葉などを交わしているうちに、70回クルーズに乗るメンバーは船に入らないといけなくなった。
こちらも昼食を食べたりして再び晴海ふ頭に戻り、15時に出航となった。
元ピースボートさいたまメンバーが垂れ幕を掲げる。
どこかで見たような名言で、ピッタリあっているようだが、キミタチ、それは引退の言葉だぞ…。
69回クルーズでは無かった、テープがたなびく出航シーン。
私も受け取る側で何度か見ているが、これはどうも見送り側に届けることが難しい。
かといって、見送り側、つまり下から上に投げることはもっと難しい。
などとやっている間に、船が港を離れ始めた。
オセアニック号は晴海ふ頭の中で一回転するようだ。
二艘のタグボートに引かれたり押されたりしながら、オセアニック号はくるりと一回転した。
そして真っ白い煙をはきながら、レインボーブリッジに向かって一直線に走り出した。
やがて船はレインボーブリッジを越えて見えなくなった。
このとき、私の旅が終わったのだと感じた。
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