『地球一周』から戻って [地球一周の船旅]
2010年7月25日、私は『第69回ピースボート地球一周の船旅』から戻ってきました。
ピースボートとはどのようなものだったのか。どんな船旅だったのか。
それをこれから、旅の間の日付で書いていきたいと思っています。
ピースボートとはどのようなものだったのか。どんな船旅だったのか。
それをこれから、旅の間の日付で書いていきたいと思っています。
Afterword [地球一周の船旅]
私は2010年4月16日、春ながら小雪ちらつく中を出航し、2010年7月25日、梅雨明けの酷暑の中日本に戻ってきました。
その間のピースボート内での出来事を書いたのが、この「星の海を夢見て」というブログです。
ブログを書く気満々でも、日記は最初の一ヶ月ほどしか書かず、残りは写真と新聞だけが頼りというはなはだ頼りない記事の数々ですが、これからピースボートに乗る人、興味を持っている人の助けになれば幸いです。
ただ、残念なことにこのブログでメインとなっている船、オセアニック号は、このクルーズから数回後のクルーズで漂流事故を起こし、日本には何とか帰りついたものの、その後廃船となりました。
オセアニック号は非常に古かったものの美しい船で、彼女の最後をきちんと飾れなかったのはなんとも残念なことです。
現在では、オーシャンドリームという船がピースボートの船になっています。
私は船内では新聞局というチームに入っていて、毎日のように新聞を書いていました。乗船客がこういったことをすることに、批判の声は乗船中もありました。
その意見もわかります。
私は参加してよかったと思っていますが、他の人にそれを強要するつもりもありません。ただ、これを読んで新聞局を始めとした、船内チームに興味を持って頂くと嬉しい限りです。
現在では、新聞局で培った知識や技量を元にした仕事をしております。
見ての通り2010年7月に戻ってきて、これの次の記事となる「『地球一周』から戻って」から書き始め、この記事の最後に記された日付までかかって書き上げたわけですが、ここまでの間色々とありました。
特に大きいのは、2011年の東日本大震災で、私の住んでいる地域も計画停電の影響を受け、インターネットなどをやりにくくなりました。
このとき、実はこのブログをやめてしまおうと思ったのですが、不思議なご縁で、このブログに興味をもってくださったmitu-takaさんの質問を機に、再びこのブログの時が動き始めました。
mitu-takaさんは77回クルーズに乗船される予定の方で、そのとき色々なご質問に答えつつ、私は再びこのブログを最後まで書こうという気持ちになりました。本当に感謝しております。
なんとか77回の出航までにはと思いつつ筆が進まず、戻ってくるまでと思っては筆が進まず、終いにはmitu-takaさんのブログが先に終了する始末でしたが、こちらもなんとか終了させることができました。
次の計画としては、掲載しきれなかった写真をまとめたホームページなどを目論んでいますが、こんな調子ではいつになることやら。
69回クルーズの仲間とは、現在ぼちぼちインターネットなどで交流を再開しています。
当時のスタッフさんもだいぶ辞めてしまわれましたが、数名とは会うことができました。
特に、77回クルーズに見送りに行ったとき、船が出た後で新聞局長と出会えたのは、何かの巡り会わせかと思ったほどです。
海上の星空には期待したほどの煌きはありませんでしたが、夏場という時期、白夜が支配する北欧クルーズともなれば、もうこれは仕方が無いことでしょう。天の川がうっすら見えたこと、南十字が見えたことが収穫です。
もう一度乗りたいと思いつつ、それはたぶん無理でしょう。
ただ、もう一度乗ることになったら、私は星の海ばかり気にせず、もっと他の色々な船内の出来事や、寄港地を眺める余裕ができているかもしれません。
そのときのブログはまた違ったものになるでしょう。
最後に、ここまで読んでくださった皆様に感謝を。
2013.5.13 rastaban
その間のピースボート内での出来事を書いたのが、この「星の海を夢見て」というブログです。
ブログを書く気満々でも、日記は最初の一ヶ月ほどしか書かず、残りは写真と新聞だけが頼りというはなはだ頼りない記事の数々ですが、これからピースボートに乗る人、興味を持っている人の助けになれば幸いです。
ただ、残念なことにこのブログでメインとなっている船、オセアニック号は、このクルーズから数回後のクルーズで漂流事故を起こし、日本には何とか帰りついたものの、その後廃船となりました。
オセアニック号は非常に古かったものの美しい船で、彼女の最後をきちんと飾れなかったのはなんとも残念なことです。
現在では、オーシャンドリームという船がピースボートの船になっています。
私は船内では新聞局というチームに入っていて、毎日のように新聞を書いていました。乗船客がこういったことをすることに、批判の声は乗船中もありました。
その意見もわかります。
私は参加してよかったと思っていますが、他の人にそれを強要するつもりもありません。ただ、これを読んで新聞局を始めとした、船内チームに興味を持って頂くと嬉しい限りです。
現在では、新聞局で培った知識や技量を元にした仕事をしております。
見ての通り2010年7月に戻ってきて、これの次の記事となる「『地球一周』から戻って」から書き始め、この記事の最後に記された日付までかかって書き上げたわけですが、ここまでの間色々とありました。
特に大きいのは、2011年の東日本大震災で、私の住んでいる地域も計画停電の影響を受け、インターネットなどをやりにくくなりました。
このとき、実はこのブログをやめてしまおうと思ったのですが、不思議なご縁で、このブログに興味をもってくださったmitu-takaさんの質問を機に、再びこのブログの時が動き始めました。
mitu-takaさんは77回クルーズに乗船される予定の方で、そのとき色々なご質問に答えつつ、私は再びこのブログを最後まで書こうという気持ちになりました。本当に感謝しております。
なんとか77回の出航までにはと思いつつ筆が進まず、戻ってくるまでと思っては筆が進まず、終いにはmitu-takaさんのブログが先に終了する始末でしたが、こちらもなんとか終了させることができました。
次の計画としては、掲載しきれなかった写真をまとめたホームページなどを目論んでいますが、こんな調子ではいつになることやら。
69回クルーズの仲間とは、現在ぼちぼちインターネットなどで交流を再開しています。
当時のスタッフさんもだいぶ辞めてしまわれましたが、数名とは会うことができました。
特に、77回クルーズに見送りに行ったとき、船が出た後で新聞局長と出会えたのは、何かの巡り会わせかと思ったほどです。
海上の星空には期待したほどの煌きはありませんでしたが、夏場という時期、白夜が支配する北欧クルーズともなれば、もうこれは仕方が無いことでしょう。天の川がうっすら見えたこと、南十字が見えたことが収穫です。
もう一度乗りたいと思いつつ、それはたぶん無理でしょう。
ただ、もう一度乗ることになったら、私は星の海ばかり気にせず、もっと他の色々な船内の出来事や、寄港地を眺める余裕ができているかもしれません。
そのときのブログはまた違ったものになるでしょう。
最後に、ここまで読んでくださった皆様に感謝を。
2013.5.13 rastaban
旅の終わり [地球一周の船旅]
8月2日は素晴らしく晴れた暑い日だった。
70回クルーズは横浜港ではなく、東京の晴海ふ頭から出ることになっていたので、見送りに出かけた。
港に止まっているオセアニック号が見えたが、私たちが101日家としていた場所とは思えないほど余所余所しかった。
一緒にいた一人が言った。「なんだか、私たちが見ていたオセアニック号ではないみたい」
まさにその通りで、もうオセアニック号は69回クルーズではなく、70回クルーズの顔になっていた。
横浜港よりだいぶん小ぶりな晴海ふ頭は、人で溢れて身の置き場も無いほどだ。
それでもなんとか別れの言葉や励ましの言葉などを交わしているうちに、70回クルーズに乗るメンバーは船に入らないといけなくなった。
こちらも昼食を食べたりして再び晴海ふ頭に戻り、15時に出航となった。
70回クルーズは横浜港ではなく、東京の晴海ふ頭から出ることになっていたので、見送りに出かけた。
港に止まっているオセアニック号が見えたが、私たちが101日家としていた場所とは思えないほど余所余所しかった。
一緒にいた一人が言った。「なんだか、私たちが見ていたオセアニック号ではないみたい」
まさにその通りで、もうオセアニック号は69回クルーズではなく、70回クルーズの顔になっていた。
横浜港よりだいぶん小ぶりな晴海ふ頭は、人で溢れて身の置き場も無いほどだ。
それでもなんとか別れの言葉や励ましの言葉などを交わしているうちに、70回クルーズに乗るメンバーは船に入らないといけなくなった。
こちらも昼食を食べたりして再び晴海ふ頭に戻り、15時に出航となった。
船を降りてから桟橋を出るまで [地球一周の船旅]
ようやく私がいたデッキの下船案内が予定より遅く出て、私は荷物をえっちらおっちらと文字通りかついで船を出た。
風呂敷がはみ出た紙袋二つに大きなバッグ、リュックサックという、自分でもどう形容してよいのかわからない格好だ。未だにどうやって持って船から出て、どうやって検疫所まで歩いていったのか思い出せない。
まず、荷物を受け取ってから、横浜港の検疫や免税を行う場所で、これらの手続きを済ませなければならない。
風呂敷がはみ出た紙袋二つに大きなバッグ、リュックサックという、自分でもどう形容してよいのかわからない格好だ。未だにどうやって持って船から出て、どうやって検疫所まで歩いていったのか思い出せない。
まず、荷物を受け取ってから、横浜港の検疫や免税を行う場所で、これらの手続きを済ませなければならない。