横浜帰港 [地球一周の船旅]
横浜帰港の朝、デッキに出ると日本特有の蒸し暑さがどっと押し寄せてきた。
今までが平均18度の世界だったので、一挙に茹で上がったような感じがする。
右舷と左舷でカメラを向けてみたが、日本の陸地はまだ見えず、携帯電話も通じない。
携帯電話を片手にうろうろしていたが、陸地の影すらも見えないので諦めて船室に戻った。
ピースボートセンターの前には、診療室からの掲示が張り出されていた。
風邪を引いた人は公共スペースではマスクを着用くださいとのこと。
風邪ではないが体調が悪かったので、そそくさとその場を立ち去る。
やがて、船内アナウンスで房総半島沖を通過、館山を回って東京湾に入ったなどの放送が入る。
そろそろ横浜港とのことで、デッキに出てみた。
汚い。これは汚い。
どくとるマンボウ航海記でも東京湾のキタナサが描写されていたが、あれから何十年、半世紀も経っているのにまだ汚いと思えるとは。
これでもきれいになったほうなのだろうか。まぁ、どこの港も似たようなものだが、故郷だから余計に意識してしまうのだろうか。
やがて、ベイブリッジが見えてきた。
ここを旅立って101日目、ようやく日本に戻ってきた。携帯電話もつながるようになった。
船はゆっくり、横浜港の大桟橋に向かっていく。
横浜港入港に当たって、マストに掲げられる旗が更新されていた。
そして…
お迎えの団体。
普通ピースボートの船は早朝に入港するので、昼日中に入港する様子を一部始終眺められるのは珍しい。
そして、やはりエンジン音が頼もしい、日本のタグボートが舷側につく。
船体にタイヤのあとがつかないように、白い布で覆っている心遣いがまた日本らしい。
このタグボートは相当に馬力が良いらしく、オセアニック号はみるみるうちに大桟橋に着岸した。
デッキには、別れを惜しむ人たちであふれ、迎えに来てくれた家族や仲間に手を振る人で溢れかえっていた。
両親が迎えに来てくれる手筈だったが、まだこのときはいなかった。
というのも、入港してからは上から順番に出て行き、下のほうである私は18時をすぎてようやく出られるようになるのだ。そのため、急いでくるなと連絡しておいてあったのだ。
船が完全に止まると、舷側に給油船がやってきて給油を始めた。
よくもまぁ、あの太平洋を無補給で横断してきたものである。
警戒船も周囲をうろうろしていた。ピースボートを警戒しているのではないだろうが、たぶん給油船がいるからだろう。
やがて日が暮れはじめ、私も船を出る時間が迫っていた。
部屋に戻った私は、何を思ったか船室にかかっていた絵を写真に収めた。
これが、101日の船旅最後の一枚となった。
今までが平均18度の世界だったので、一挙に茹で上がったような感じがする。
右舷と左舷でカメラを向けてみたが、日本の陸地はまだ見えず、携帯電話も通じない。
携帯電話を片手にうろうろしていたが、陸地の影すらも見えないので諦めて船室に戻った。
ピースボートセンターの前には、診療室からの掲示が張り出されていた。
風邪を引いた人は公共スペースではマスクを着用くださいとのこと。
風邪ではないが体調が悪かったので、そそくさとその場を立ち去る。
やがて、船内アナウンスで房総半島沖を通過、館山を回って東京湾に入ったなどの放送が入る。
そろそろ横浜港とのことで、デッキに出てみた。
汚い。これは汚い。
どくとるマンボウ航海記でも東京湾のキタナサが描写されていたが、あれから何十年、半世紀も経っているのにまだ汚いと思えるとは。
これでもきれいになったほうなのだろうか。まぁ、どこの港も似たようなものだが、故郷だから余計に意識してしまうのだろうか。
やがて、ベイブリッジが見えてきた。
ここを旅立って101日目、ようやく日本に戻ってきた。携帯電話もつながるようになった。
船はゆっくり、横浜港の大桟橋に向かっていく。
横浜港入港に当たって、マストに掲げられる旗が更新されていた。
そして…
お迎えの団体。
普通ピースボートの船は早朝に入港するので、昼日中に入港する様子を一部始終眺められるのは珍しい。
そして、やはりエンジン音が頼もしい、日本のタグボートが舷側につく。
船体にタイヤのあとがつかないように、白い布で覆っている心遣いがまた日本らしい。
このタグボートは相当に馬力が良いらしく、オセアニック号はみるみるうちに大桟橋に着岸した。
デッキには、別れを惜しむ人たちであふれ、迎えに来てくれた家族や仲間に手を振る人で溢れかえっていた。
両親が迎えに来てくれる手筈だったが、まだこのときはいなかった。
というのも、入港してからは上から順番に出て行き、下のほうである私は18時をすぎてようやく出られるようになるのだ。そのため、急いでくるなと連絡しておいてあったのだ。
船が完全に止まると、舷側に給油船がやってきて給油を始めた。
よくもまぁ、あの太平洋を無補給で横断してきたものである。
警戒船も周囲をうろうろしていた。ピースボートを警戒しているのではないだろうが、たぶん給油船がいるからだろう。
やがて日が暮れはじめ、私も船を出る時間が迫っていた。
部屋に戻った私は、何を思ったか船室にかかっていた絵を写真に収めた。
これが、101日の船旅最後の一枚となった。
2010-07-25 18:21
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