七夕物語 [地球一周の船旅]
7月7日は七夕。
本来は中国の祭ゆえに、旧暦や8月に行うことが望ましいと個人的には考える。
理由はきちんとある。
7月7日だと、かなり遅くならないと織姫(こと座ベガ)も彦星(わし座アルタイル)も出てこないからだ。
七夕とは関係ないのだが、この日にジャマイカで三つ編みをしてもらっていた新聞局員さんが、それをほどくことにしていた。
ジャマイカで三つ編みしてもらった人は例外なくボンバーな髪になり、彼も元がアフロヘアだったので、どれだけボンバーになるか皆楽しみにしていた。
ところが、アフロ以上にボンバーになりようがなく、ちょっとボリュームアップ?で終わった。
ジャマイカで三つ編みにしてもらっていたスタッフさんがいて、さすがに自由なピースボートでも、これはアウトだろうと思っていたら、その理由は意外なものだった。
そのスタッフさんがモンテゴベイの街を歩いていると、妊婦さんが髪を編ませて欲しいと言ってきた。わかるくらいだから、相当お腹が大きかったのだろう。
スタッフさんは妊婦さんのために、自分はベンチの下の地面に座り、妊婦さんをベンチに座らせて編んでもらったという。
話が話だけに特にお咎めもなかったようだが、そのスタッフさんは特に思い入れを込めて編んでもらったらしく、解いた後も数日髪がふわふわしていて、髪を押さえつつ困っていた。
話をもどして。
七夕の星企画で解説するのだから、浴衣が良かろうと私は自分で浴衣を着付けていった。
話は数日前のムーンライトアワーほどコントに突っ走らなかったが、スタッフさんのフォロー付きでなんとか場は持たせることが出来た。
しかし、持たなかったのは私の着付けで、解説終了間近には、浴衣がかなり着崩れた状態になりかけていた。
これはまずい。
照明が消されて暗いから見えないと思うが、着ている感覚的には相当にまずい。
思えば、きちんと着付けてもらったときはきつかったが、着崩れることはなかった。やはり、着付けのプロは偉大だ。
などと思いつつ、解説終了と同時にスタッフさんに了解を得て、私は浴衣のあちこちを手で引っ張りつつ部屋に戻った。もはや階段など降りられず、エレベータ使用だ。
なんとか完全に帯が取れる前に部屋に戻ることが出来た。
翌日、GETの先生から「七夕の話がすごく良かった」と言われ、昨日の解説にCC(通訳さん)がいただろうかと私は首をひねった。いなかったはずだ。
すると先生は「新聞の七夕伝説だ」という。
私は七夕のお話をまとめ、新聞に記事として掲載していた。先生は少し日本語が出来る人なので、頑張って読んでくれたのかと私は大いに照れた。
すると、どうも英語版の新聞に、私の七夕伝説が翻訳されて掲載されたとのこと。
英語新聞は、本来水先案内人講座やピースボート企画、注意事項でいっぱいになってしまい、局員のコラム的なものは基本的に翻訳されない。
私は慌てて、GETの勉強用に英字新聞が置かれている箇所を探すと、7月7日の新聞が一枚残っていた。
七夕という行事が、英語圏にはなじみが薄いので翻訳されたのかもしれない。
船内新聞局生活で恐らく、ただ一度の翻訳された「自分の」記事。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
今でも、その英語新聞は私の宝物になっている。
本来は中国の祭ゆえに、旧暦や8月に行うことが望ましいと個人的には考える。
理由はきちんとある。
7月7日だと、かなり遅くならないと織姫(こと座ベガ)も彦星(わし座アルタイル)も出てこないからだ。
七夕とは関係ないのだが、この日にジャマイカで三つ編みをしてもらっていた新聞局員さんが、それをほどくことにしていた。
ジャマイカで三つ編みしてもらった人は例外なくボンバーな髪になり、彼も元がアフロヘアだったので、どれだけボンバーになるか皆楽しみにしていた。
ところが、アフロ以上にボンバーになりようがなく、ちょっとボリュームアップ?で終わった。
ジャマイカで三つ編みにしてもらっていたスタッフさんがいて、さすがに自由なピースボートでも、これはアウトだろうと思っていたら、その理由は意外なものだった。
そのスタッフさんがモンテゴベイの街を歩いていると、妊婦さんが髪を編ませて欲しいと言ってきた。わかるくらいだから、相当お腹が大きかったのだろう。
スタッフさんは妊婦さんのために、自分はベンチの下の地面に座り、妊婦さんをベンチに座らせて編んでもらったという。
話が話だけに特にお咎めもなかったようだが、そのスタッフさんは特に思い入れを込めて編んでもらったらしく、解いた後も数日髪がふわふわしていて、髪を押さえつつ困っていた。
話をもどして。
七夕の星企画で解説するのだから、浴衣が良かろうと私は自分で浴衣を着付けていった。
話は数日前のムーンライトアワーほどコントに突っ走らなかったが、スタッフさんのフォロー付きでなんとか場は持たせることが出来た。
しかし、持たなかったのは私の着付けで、解説終了間近には、浴衣がかなり着崩れた状態になりかけていた。
これはまずい。
照明が消されて暗いから見えないと思うが、着ている感覚的には相当にまずい。
思えば、きちんと着付けてもらったときはきつかったが、着崩れることはなかった。やはり、着付けのプロは偉大だ。
などと思いつつ、解説終了と同時にスタッフさんに了解を得て、私は浴衣のあちこちを手で引っ張りつつ部屋に戻った。もはや階段など降りられず、エレベータ使用だ。
なんとか完全に帯が取れる前に部屋に戻ることが出来た。
翌日、GETの先生から「七夕の話がすごく良かった」と言われ、昨日の解説にCC(通訳さん)がいただろうかと私は首をひねった。いなかったはずだ。
すると先生は「新聞の七夕伝説だ」という。
私は七夕のお話をまとめ、新聞に記事として掲載していた。先生は少し日本語が出来る人なので、頑張って読んでくれたのかと私は大いに照れた。
すると、どうも英語版の新聞に、私の七夕伝説が翻訳されて掲載されたとのこと。
英語新聞は、本来水先案内人講座やピースボート企画、注意事項でいっぱいになってしまい、局員のコラム的なものは基本的に翻訳されない。
私は慌てて、GETの勉強用に英字新聞が置かれている箇所を探すと、7月7日の新聞が一枚残っていた。
七夕という行事が、英語圏にはなじみが薄いので翻訳されたのかもしれない。
船内新聞局生活で恐らく、ただ一度の翻訳された「自分の」記事。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
今でも、その英語新聞は私の宝物になっている。
コメント 0