日本より中国?~エジプト・サファガ2日目~ [寄港地]
エジプトのサファガには2日間寄港する。
この日は近郊の観光地ハルガダを往復するバスを予約していた。
値段は4000円くらいだったと思うが、自分でバスに乗っていけば500円くらいで行けるそうである。
行ける自信がないので素直にバス予約した。安全を金で買ったカタチになる。(安全とはいえないかもしれないが…)
ハルガダは観光客向けの街であり、様々な土産物屋が並ぶ。
「コンニチハ」という挨拶も聞こえるが、「ニイハオ」も思った以上に多い。
アジア系と見るや否や挨拶をかけてくる商人が多いが、やはり金を落とす国の言葉を話すことが多い気がする。
中国の金持ちの金の使い方はものすごい。私はそういう光景を日本でも見たことがある。
金を落とすのは日本人ではなく、中国人の観光客という認識が広まれば、「コンニチハ」もそれほど聞かれなくなっていくのだろうか?
しかし、日本人は言い値で買う傾向にあるから、まだ良きカモとして商人に歓迎され続けるかもしれない。
大阪のオバちゃんたちは言い値では買わず、むしろ恐ろしいほどに値切るので、アラブの商人たちからは「テロリスト?(´・ω・`)」と恐れられていた。
店員に愛想よく話しかけられ、「ミルダケヨ」と言われてもついていってはならない。
ついていったが最後、何か買うまで延々と品物を持ってこられて閉口する。私も香油を買わされてしまった。
マクドナルドは平均的な大きさだなと思いきや、ご当地バーガーを頼むと顔ほどもある大きなものが出てくる。
平均的な大きさは世界共通メニューだけらしい。
ついでに言えば、客層も外国人ばかりである。
商店をのぞけば、日本語を教えてくれと頼んでくる。
昔はルクソールでガイドをやっていたが、今は土産物屋をやっているという青年は、かなり熱心に日本語の挨拶を聞いてきていた。
まだガイドの免許は持っているとのことで、またいつかガイドに戻るつもりがあるのだろうか?
アレコレ教えたらかなり感謝したようで、売り物の土産用マグネットを新聞紙に包んで「プレゼントだ」と渡してくれた。
他の土産物では、数字の数え方を聞かれた。
15を指差し、「日本語ではなんと読むのか?」と聞いてくる。「じゅうご」と答えると、しきりに口の中で繰り返す。次に50を指差して同じ事を聞く。「ごじゅう」と答えると、たまげたように目をむいていた。担がれたと思ったのかもしれないが、信じる信じないも相手の勝手である。
ところで、日本人は補助通貨というものにあまりなじみがない。
ドルやユーロならばセント。つまり、日本円だと円以下、今は使われない一銭などと同じである。
エジプトポンドの補助通貨はピアストルという。しかも、コインではなく紙幣で来る。
紙幣の額面だけ見て札を出すと、受け取ってもらえない。
後でよくよく見ると、それはピアストルだった。ということもかなりあった。
さて、ハルガダから船に戻る。
やはり、白い砂漠が続く。作りかけの建物が放置され、そのまま風化していくような光景には、やや胸が痛む。
出航は夕方の5時で、船は傾いてきた日差しの中をゆっくりと、サファガの岸壁から離れていく。
船は周囲にたくさんのクラゲが浮かぶ中、紅海へと進んでいく。
やがて、陸地は遠く、遠くなっていった。
さて、船室に戻ろうかと目を反対側に向けて仰天。まだ砂州が続いているのだ。
しかも、砂州の先っぽには、建物がある。
で、あの建物はなんであんなところにあるのだろうか…?(´-ω-`)?
この日は近郊の観光地ハルガダを往復するバスを予約していた。
値段は4000円くらいだったと思うが、自分でバスに乗っていけば500円くらいで行けるそうである。
行ける自信がないので素直にバス予約した。安全を金で買ったカタチになる。(安全とはいえないかもしれないが…)
ハルガダは観光客向けの街であり、様々な土産物屋が並ぶ。
「コンニチハ」という挨拶も聞こえるが、「ニイハオ」も思った以上に多い。
アジア系と見るや否や挨拶をかけてくる商人が多いが、やはり金を落とす国の言葉を話すことが多い気がする。
中国の金持ちの金の使い方はものすごい。私はそういう光景を日本でも見たことがある。
金を落とすのは日本人ではなく、中国人の観光客という認識が広まれば、「コンニチハ」もそれほど聞かれなくなっていくのだろうか?
しかし、日本人は言い値で買う傾向にあるから、まだ良きカモとして商人に歓迎され続けるかもしれない。
大阪のオバちゃんたちは言い値では買わず、むしろ恐ろしいほどに値切るので、アラブの商人たちからは「テロリスト?(´・ω・`)」と恐れられていた。
店員に愛想よく話しかけられ、「ミルダケヨ」と言われてもついていってはならない。
ついていったが最後、何か買うまで延々と品物を持ってこられて閉口する。私も香油を買わされてしまった。
マクドナルドは平均的な大きさだなと思いきや、ご当地バーガーを頼むと顔ほどもある大きなものが出てくる。
平均的な大きさは世界共通メニューだけらしい。
ついでに言えば、客層も外国人ばかりである。
商店をのぞけば、日本語を教えてくれと頼んでくる。
昔はルクソールでガイドをやっていたが、今は土産物屋をやっているという青年は、かなり熱心に日本語の挨拶を聞いてきていた。
まだガイドの免許は持っているとのことで、またいつかガイドに戻るつもりがあるのだろうか?
アレコレ教えたらかなり感謝したようで、売り物の土産用マグネットを新聞紙に包んで「プレゼントだ」と渡してくれた。
他の土産物では、数字の数え方を聞かれた。
15を指差し、「日本語ではなんと読むのか?」と聞いてくる。「じゅうご」と答えると、しきりに口の中で繰り返す。次に50を指差して同じ事を聞く。「ごじゅう」と答えると、たまげたように目をむいていた。担がれたと思ったのかもしれないが、信じる信じないも相手の勝手である。
ところで、日本人は補助通貨というものにあまりなじみがない。
ドルやユーロならばセント。つまり、日本円だと円以下、今は使われない一銭などと同じである。
エジプトポンドの補助通貨はピアストルという。しかも、コインではなく紙幣で来る。
紙幣の額面だけ見て札を出すと、受け取ってもらえない。
後でよくよく見ると、それはピアストルだった。ということもかなりあった。
さて、ハルガダから船に戻る。
やはり、白い砂漠が続く。作りかけの建物が放置され、そのまま風化していくような光景には、やや胸が痛む。
出航は夕方の5時で、船は傾いてきた日差しの中をゆっくりと、サファガの岸壁から離れていく。
船は周囲にたくさんのクラゲが浮かぶ中、紅海へと進んでいく。
やがて、陸地は遠く、遠くなっていった。
さて、船室に戻ろうかと目を反対側に向けて仰天。まだ砂州が続いているのだ。
しかも、砂州の先っぽには、建物がある。
で、あの建物はなんであんなところにあるのだろうか…?(´-ω-`)?
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