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私は難民キャンプに行った~ヨルダン・アカバ1日目~ [寄港地]

 ピースボートが寄港する、ヨルダンのアカバ港。ここはシナイ半島の東側、アカバ湾の一番奥となる。
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 エジプト、サウジアラビア、ヨルダン、イスラエルの国境がこの湾に接している。

 アカバ港では、バスがズラリとお出迎え。
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 ではなくて。
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 ヨルダンの民族舞踊のお出迎え。

 砂漠のようだがエジプトとは違い、赤みを帯びた砂である。
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 実際はステップ気候に属するとのことで、草木もまばらながら生えている。
 アカバの周囲の岩山は磁力を含んでいて、飛行機はこの上を通ることを禁じられているという。

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 月の谷と呼ばれるワディラムの横を通り、さらにバスは進む。
 予想時間は4時間45分。途中でトイレ休憩を挟むが、行程は恐ろしく長い。
 トイレ休憩をしたところはドライブインのようになっていて、死海の塩などの土産物なども売っている。
 しかし、どうも高く感じる。お金がある人は構わず買っていたが、私は今後何に使うかわからないので、小さな小箱と頼まれていたアーモンドを買ったのみで買い物を終わらせた。
 それにしても、トイレが少ないせいか男女共にどえらい行列になっていた。

 食事は観光客向けらしきレストランで。
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 やはり食欲はなく、どうもアラブ特有の香辛料があわないらしい。それと、暑さもあるだろう。そもそも、暑さには弱い体質なのだ。

 食後は、出発時間まで外を散歩しても構わないとのこと。
 車の通りはほとんどなく、悠々と道路を横断できるかと思いきや、たまに来る車はものすごい勢いで走ってくる。油断は出来ない。
 看板が見えたので、どうせアラビア語は読めないがと近寄ると…
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 アルファベットでも書かれている。「Moses Springs」…モーゼの泉?
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 看板に沿って道なりに歩く。
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 下に向かってすり鉢状の盆地になっていた。この下まで降りるのは不可能だろう。
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 坂の途中にある看板は、さらに下を示している。無理と判断して引き返す。

 食事のあと、まだ少しバスで走り、首都アンマン近くにあるマダバという町に着く。
 このマダバに、今回訪問するパレスチナの難民キャンプの一つがある。

 難民キャンプに着いてもなお、自分は何をしにここに来たのかという自問自答は続いていた。
 高価そうな一眼レフを後生大事に抱えたオッサンたちが、「思ったよりしっかりした建物だな」「もっと貧困的な光景が撮れないと困る」などと話している。外国人が日本に来たときに「思ったより木の建物が少ないな」「サムライやゲイシャの格好をしていないと困る」と言われているのと同じようなことを話していることに、気がついていないのだろう。

 イスラム圏では、女性は髪を隠さないと裸を見せているのと同じようなものであるとのことで、女性たちは皆スカーフや布で顔の半分と髪を覆い隠す。
 私はハルガダで買ったベドウィン族の布(売主の言)を頭に巻きつけたところ、一緒のバスに乗っていた知人たちに「テロリスト…」と言われた。
 「なんじゃと?」と思っていたところ、現地の子どもたちにも似たようなことを言われたのは別の話(´・ω・`)

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 ピースボート側からは和太鼓演奏の披露がある。難民キャンプの代表者や、参加する人はかなり少なく感じる。

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 次に、難民キャンプの街中を案内される。キャンプ内は静かで、窓から人がのぞいている気配はするが、外に出てくる人はいない。子どもが数人、商店や路地の影から興味深そうに眺めているだけだった。
 地球大学の学生やスタッフが、車に乗ってホームステイ先に向かうのを見た。ホームステイ先として受け入れてくれるのは、比較的収入に余裕のある世帯だという。
 あまり写真を撮らないでもらいたいという通達が出ていたが、高級カメラのオッサンどもは建物も子どもも、特に撮影してはいけないと厳重に注意されていた女性たちも、お構い無しに撮影していた。どうやら日本語が通じない方々だったようだ。英語で注意しても通じないだろうけど。
※一応キャンプ内の写真は、スタッフなどに「撮っても構わない」とされた場所や、現地の人が居ないタイミングで撮影したので、数が少ないのはご容赦願いたい。

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 ここはキャンプ内の小学校で、日本のような金網ではなく、コンクリートの分厚い壁で周囲を護られている。
 スポーツで交流するチームは、ここで交流を行うことになる。
 それにしても、予想はしていたが、あまり広いとはいえない。校舎も二階建てで、環境が良さそうとはお世辞にもいえない。

 スポーツ交流でない人たちは、また移動する。
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 難民キャンプの女性たちに、手に職をつけて収入を得るというセンターがあり、そこへ案内された。
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 4階分の階段をぐるぐると登りつめると、開けた屋上に出る。
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 店になっているという室内は狭いので、しばし待つ。雲ひとつない乾燥した空には、凧が一つ、二つと揚がっている。
 言っていたとおり室内は狭く、ヘナタトゥーの実演、サンドボトルの先生による実演販売、パレスチナ刺繍の品々などが販売されていた。20人も入ると満杯である。
 
 入り口近くに陣取っていたアラブ風のひげを生やした男性は、「自分はサンドボトルの先生だ」という。
 サンドボトルの先生は自信満々で、「自分に出来ない模様はない」「夕陽でも朝日でも、砂漠でも海でも、名前だって自由自在に書ける」(全て英語)とのこと。サンドボトルの技術を女性たちに教え、収入の一端にするのだとのこと。ボトルの中の砂絵ともいえるサンドボトルは、エジプトやヨルダンでの土産品として人気があるようだ。
 値段も小さなボトルで1米ドルなので購入した。他に緑の薄地のスカーフを買い、5米ドルなので安いと思っていたところ、これはメイドインチャイナであることが後に判明した。
 ちなみにガイドさんによると、サンドボトルはヒドイ職人が作ると、帰国する前に砂漏れするか絵が崩れるらしい。ここのサンドボトルは、先生だと豪語しただけあって、帰国してもなお砂粒一つ漏れなかった。
 ヘナタトゥーをしてもらった人たちは、定着させる時間がないのもあって絵柄が崩れたらしいが、これはもう仕方がないだろう。

 その後、文化交流をするグループと別れて、支援物資を運ぶチームで集まる。私は支援物資を運ぶチームだった。スポーツはできないし、文化交流と言っても習字をさせれば恐ろしく下手で、折り紙も鶴しか折れない。一番恐ろしいのは、歌を歌おうにも手ひどい音痴であるということだろう。
 ともかく、難民キャンプを身近に感じられるだろうと思って支援物資チームになったのだ。
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 物資の内容はこんな感じ。経済的に苦しい家庭に持っていくのだという。
 このマダバの難民キャンプには、かなりの数の「家庭」があるのだろうが、それにしてはピースボートの物資の数は少なく思えた。資金が足りないらしい…。
 難民キャンプの偉い人たちが選定した家に物資を持っていく。しかし、どこの家ももらうとすぐに引っ込んでしまう。アラブの世界では、他者からの施しを受けることを特に恥とする文化があるらしい。
 ちなみに、前述の女性の職支援センターも、女性が働くことを潔しとしない風潮のために、来たくても来れない女性が多いのだという。これは、女性が働くと旦那や家長たる男性の甲斐性がないと思われる風潮からきているようだ。この空気は、日本よりよほど濃い。

 物資を運んでいる途中で、商店にいた子どもたちが物珍しげに近寄ってきた。
 撮ってもいいかと身振りで伝えようとすると、わずかながら英語が通じる子どもがいた。
 「カメラを触ってもいいか」と聞くので、貸すと触ったり構えてみたりしていたが、すぐに返してきた。「(3人で)撮って欲しい」とのことで、撮影した一枚がこれである。
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 この子たちは、パレスチナを知らないのだろう。それでも「いつか故郷に帰る」という思いは、確かに受け継いでいるようだ。

 夕方、出てきた多くの人たちと共に、バスが止めてある場所へ向かう。
 女の子や女性はほとんどおらず、ほとんどが男の子と男性だ。
 私たちはホームステイ組とも別れ、首都のアンマンへバスで向かった。

 ピースボートの訪問に関しては、現地の難民キャンプでも賛否がある。
 しかし、「我々のことを世界が忘れていない。あなた方が来ることで、それを感じられるだけでも良い」との言葉が、私の心に沁みていた。
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