ルクソールは石焼オーブン~エジプト・サファガ1日目~ [寄港地]
5月10日、オセアニック号はエジプトのサファガ港に着岸した。
サファガは、手元の地図では「ブル・サファーガ」と書かれ、英語の地図では「Port Safaga」となっている。
ブルとはアラビア語で港のことなのだろうか?
(基本的にこのブログでは、地名はジャパングレイスのパンフレットと同じにしておくので、サファガという表記になります)
見ての通り、観光とは縁もゆかりも無さそうな港である。
ここから、ピラミッドに並ぶエジプトの観光地の一つ、ルクソールへ向かう。
インド洋を航海すること2週間、久々の陸地なのだが、朝早いのと暑さですでに体力減少傾向にあった。
サファガから出たバスは一路ルクソールへ向かう。
思った以上の干からびた土地。同じような光景がただ延々と続く。
バスはツーリストポリスと呼ばれる、観光客の護衛が専門の警察隊に守られ、コンボイを組んで目的地に向かう。バスにも背広姿のツーリストポリスが乗り込んでくる。
夜間は移動が厳しく制限されているので、個人で行く場合はそれも計算しないと船に戻ることが出来なくなる。
いささか厳しいような気もするが、ルクソール事件のようなことがあったので、外国人観光客への護衛はより一層強固なものとしているのだろう。
余談だが、最初にコンボイと聞いてロボットに変形するトレーラーを思い浮かべた人は、船内では少なかっただろう…(年代的に)。
ルクソールに近いたころ、ナイル川が見えてきた。世界最長の川は悠々と流れる。
古代エジプトの時代、おおいぬ座のシリウスが地平線上に光ると、ナイル川は氾濫を起こして肥沃な土を下流部に運んできていた。
ダムができた現在では、この氾濫はもう起こらない。いいことなのか悪いことなのか。
最初に訪れたのは王家の谷。
イスラム圏は肌をあまり露出させてはイカンとのことだったが、白人の女性たちは気にもせずキャミソールだ。
もっとも、肩紐が食い込むほどのお肉をまとっているので、それほどセクシーともいえぬ。
王家の谷は、カメラ及びビデオカメラなどの、録画機器の持ち込みは一切禁止である。
ピースボートの映像担当、写真担当の人でさえ例外ではなく、常に手にしていたカメラがなくていささか手持ち無沙汰に歩き回っている。
厳しい検査があり、ここでカメラの隠し持込がばれれば没収である。タブン戻ってこないだろう。
ピースボートのカメラマンさんは、かなり高級なカメラを所持していたので、盗まれたら大変だとカメラから離れずにバスで頑張っていたが、最終的には運転手さんか他のスタッフかに説得されて王家の谷に来た。
王家の谷には、ビジターセンターから電気自動車が引っ張るトロッコで行く。そこまで行く道もアスファルトでしっかり舗装されているので、余計に暑く感じる。
しかし暑い。
肌を露出させないのは、太陽の熱対策と砂対策ということもあるのだが、とにかく暑い。
砂は白く輝き、太陽は遠慮無しにギラギラと照りつけている。
かの有名なツタンカーメンの墓は有料とかで、20米ドル払わないと中に入れない。
ミイラには興味がなかったので、他の墓をめぐってみることにする。
王家の谷の墳墓にはまずKVという記号が付けられ、発見順に番号が付けられている。
私が行った時に公開されていた墓は、KV62(ツタンカーメン・別料金)、KV6(ラムセス2世)、KV11(ラムセス3世)、KV16(ラムセス1世)の4つ。
まず、人の流れに逆らい、皆が行かないKV16に向かう。墓の前では監視員がいて、切符にハサミを入れてくれる。外も暑いが中も蒸し暑い。なにより階段が、坂がキツイ。墓であり、生者の利便は考えられていないのはアタリマエだが。
その後もKV11、KV16と回って早々に休憩所で呆然としている羽目に。シンガポールのように熱中症にならぬようにと思っていたが、すでにアブナイ。
戻るときもトロッコに乗っていったが、乗っていたオバサンが帽子を落として大悲鳴。即座にピースボートの女性スタッフがトロッコから飛び降りて帽子を拾いに行く。若くて体力がないと、ピースボートのスタッフはとてもできなさそうだ。
バスまで戻ると、駐車場からなら写真をとってもいいとのこと。ぞろぞろと出る人々の群れに混じり、何枚か写真を撮る。
とはいえ、ここからではピラミッドのように見える岩山すら見えない。
帰り道からは、ツタンカーメンの墳墓発見で有名になったハワード・カーターが住んでいた家も見えた。
よくもまぁ、こんな暑く乾いたところに住み、発掘を続けたものである。
発掘途中の遺跡の近くには…
メムノンの巨像がある。
この巨像も、身体のアチコチに鳩が住み着いている。頭の上には鳩よけの金具が設置されているが、鳩はそこだけよけて巨像に住み着いている。
メムノンの巨像の次は、ナイル川でボートに乗って対岸に渡り、昼食をとるホテルに向かう。
ここの桟橋で段差を見逃し、コケる。これで寄港地連続コケ記録を樹立。ありがたくない記録だ。
さすがは大河。流れはゆったりだが、やはり波があってボートが揺れる。
いくつもボートが浮かび、船が行き来し、水上レストランも多くある。
昼食をとるホテルについたが、どうも食欲がない。
各寄港地で呑もうと決めていたビールだけは何とか注文した。
ちょうどステラというビールがあり、このビールはどくとるマンボウ航海記では不味いと表現されていたビール。
不味かったのはそのころで、今は普通の味のビールである。
しかしイスラム圏は昼間からビールを飲むことは快く思われていないので、外国人向けのホテル以外での飲酒は注意を要する。
その後は土産物屋。
パピルスを売る店で、実演販売のようなこともしている。
古代エジプトの天文図もあり、欲しかったのだが高すぎて手が出ない。
結局、図柄もよくわからぬ小さなものを買ってきたが、これはこれで満足だった。
店を出ると、小さなしおりに加工したパピルスを買う子どもたちが群がってくる。
イスラム教にはバクシーシ(喜捨)という言葉があり、富める者が貧しきものに施しを与えるというような意味であると聞いた。
それを聞いたからか、乗客の女性が一人の女の子の売り子にチップを弾んでいたが、その女性がバスに乗る間にその女の子は見張り役の大人に金を全て巻き上げられてしまった。
女性はそれを見ていなかったから、イイコトをしたと今も思っているのだろう。
そのあとはカルナック神殿へ。
暑い。石焼窯の中に入ったかのように暑い。
すでに日は傾き始めているはずなのに、恐ろしい暑さである。
陽炎が立たないほどの湿気のなさ。
その中で、ガイドさんはこいのぼりを手に得々と説明している。
エジプトのガイドは、日本語が出来る者が日本のツアーに同行するらしく、ここではボランティアの通訳さんたちはみなお休みだった。このあと、通訳さんたちの一団と会ったが、休暇らしく皆表情はにこやかで和やかだった。
カルナック神殿は、極彩色の壁画が描かれていたとのことだが、洪水で下方の色は失われている。
人が多い場所だが、ふと静寂を感じる場所もある。
熱波の神殿を抜け、ホテルで夕食。
私が取っていたツアーは1日ルクソール観光なので、今日中に船に戻ることになる。
2日観光でホテルに泊まる人たちと食事を取り、帰りはまたツーリストポリスに護衛されて船へ。
乾燥した地では、星ははっきり見える。
全ての寄港地、そして海を超える最高の夜空が車窓の向こうに広がっていた。
星の位置をつかめば、自分が向かっている方向もわかる。
しかしそれも街中に入るとすぐに消え、船のデッキから夜空を見上げた時には、すでに夜空は白く鈍く光っているだけだった。
サファガは、手元の地図では「ブル・サファーガ」と書かれ、英語の地図では「Port Safaga」となっている。
ブルとはアラビア語で港のことなのだろうか?
(基本的にこのブログでは、地名はジャパングレイスのパンフレットと同じにしておくので、サファガという表記になります)
見ての通り、観光とは縁もゆかりも無さそうな港である。
ここから、ピラミッドに並ぶエジプトの観光地の一つ、ルクソールへ向かう。
インド洋を航海すること2週間、久々の陸地なのだが、朝早いのと暑さですでに体力減少傾向にあった。
サファガから出たバスは一路ルクソールへ向かう。
思った以上の干からびた土地。同じような光景がただ延々と続く。
バスはツーリストポリスと呼ばれる、観光客の護衛が専門の警察隊に守られ、コンボイを組んで目的地に向かう。バスにも背広姿のツーリストポリスが乗り込んでくる。
夜間は移動が厳しく制限されているので、個人で行く場合はそれも計算しないと船に戻ることが出来なくなる。
いささか厳しいような気もするが、ルクソール事件のようなことがあったので、外国人観光客への護衛はより一層強固なものとしているのだろう。
余談だが、最初にコンボイと聞いてロボットに変形するトレーラーを思い浮かべた人は、船内では少なかっただろう…(年代的に)。
ルクソールに近いたころ、ナイル川が見えてきた。世界最長の川は悠々と流れる。
古代エジプトの時代、おおいぬ座のシリウスが地平線上に光ると、ナイル川は氾濫を起こして肥沃な土を下流部に運んできていた。
ダムができた現在では、この氾濫はもう起こらない。いいことなのか悪いことなのか。
最初に訪れたのは王家の谷。
イスラム圏は肌をあまり露出させてはイカンとのことだったが、白人の女性たちは気にもせずキャミソールだ。
もっとも、肩紐が食い込むほどのお肉をまとっているので、それほどセクシーともいえぬ。
王家の谷は、カメラ及びビデオカメラなどの、録画機器の持ち込みは一切禁止である。
ピースボートの映像担当、写真担当の人でさえ例外ではなく、常に手にしていたカメラがなくていささか手持ち無沙汰に歩き回っている。
厳しい検査があり、ここでカメラの隠し持込がばれれば没収である。タブン戻ってこないだろう。
ピースボートのカメラマンさんは、かなり高級なカメラを所持していたので、盗まれたら大変だとカメラから離れずにバスで頑張っていたが、最終的には運転手さんか他のスタッフかに説得されて王家の谷に来た。
王家の谷には、ビジターセンターから電気自動車が引っ張るトロッコで行く。そこまで行く道もアスファルトでしっかり舗装されているので、余計に暑く感じる。
しかし暑い。
肌を露出させないのは、太陽の熱対策と砂対策ということもあるのだが、とにかく暑い。
砂は白く輝き、太陽は遠慮無しにギラギラと照りつけている。
かの有名なツタンカーメンの墓は有料とかで、20米ドル払わないと中に入れない。
ミイラには興味がなかったので、他の墓をめぐってみることにする。
王家の谷の墳墓にはまずKVという記号が付けられ、発見順に番号が付けられている。
私が行った時に公開されていた墓は、KV62(ツタンカーメン・別料金)、KV6(ラムセス2世)、KV11(ラムセス3世)、KV16(ラムセス1世)の4つ。
まず、人の流れに逆らい、皆が行かないKV16に向かう。墓の前では監視員がいて、切符にハサミを入れてくれる。外も暑いが中も蒸し暑い。なにより階段が、坂がキツイ。墓であり、生者の利便は考えられていないのはアタリマエだが。
その後もKV11、KV16と回って早々に休憩所で呆然としている羽目に。シンガポールのように熱中症にならぬようにと思っていたが、すでにアブナイ。
戻るときもトロッコに乗っていったが、乗っていたオバサンが帽子を落として大悲鳴。即座にピースボートの女性スタッフがトロッコから飛び降りて帽子を拾いに行く。若くて体力がないと、ピースボートのスタッフはとてもできなさそうだ。
バスまで戻ると、駐車場からなら写真をとってもいいとのこと。ぞろぞろと出る人々の群れに混じり、何枚か写真を撮る。
とはいえ、ここからではピラミッドのように見える岩山すら見えない。
帰り道からは、ツタンカーメンの墳墓発見で有名になったハワード・カーターが住んでいた家も見えた。
よくもまぁ、こんな暑く乾いたところに住み、発掘を続けたものである。
発掘途中の遺跡の近くには…
メムノンの巨像がある。
この巨像も、身体のアチコチに鳩が住み着いている。頭の上には鳩よけの金具が設置されているが、鳩はそこだけよけて巨像に住み着いている。
メムノンの巨像の次は、ナイル川でボートに乗って対岸に渡り、昼食をとるホテルに向かう。
ここの桟橋で段差を見逃し、コケる。これで寄港地連続コケ記録を樹立。ありがたくない記録だ。
さすがは大河。流れはゆったりだが、やはり波があってボートが揺れる。
いくつもボートが浮かび、船が行き来し、水上レストランも多くある。
昼食をとるホテルについたが、どうも食欲がない。
各寄港地で呑もうと決めていたビールだけは何とか注文した。
ちょうどステラというビールがあり、このビールはどくとるマンボウ航海記では不味いと表現されていたビール。
不味かったのはそのころで、今は普通の味のビールである。
しかしイスラム圏は昼間からビールを飲むことは快く思われていないので、外国人向けのホテル以外での飲酒は注意を要する。
その後は土産物屋。
パピルスを売る店で、実演販売のようなこともしている。
古代エジプトの天文図もあり、欲しかったのだが高すぎて手が出ない。
結局、図柄もよくわからぬ小さなものを買ってきたが、これはこれで満足だった。
店を出ると、小さなしおりに加工したパピルスを買う子どもたちが群がってくる。
イスラム教にはバクシーシ(喜捨)という言葉があり、富める者が貧しきものに施しを与えるというような意味であると聞いた。
それを聞いたからか、乗客の女性が一人の女の子の売り子にチップを弾んでいたが、その女性がバスに乗る間にその女の子は見張り役の大人に金を全て巻き上げられてしまった。
女性はそれを見ていなかったから、イイコトをしたと今も思っているのだろう。
そのあとはカルナック神殿へ。
暑い。石焼窯の中に入ったかのように暑い。
すでに日は傾き始めているはずなのに、恐ろしい暑さである。
陽炎が立たないほどの湿気のなさ。
その中で、ガイドさんはこいのぼりを手に得々と説明している。
エジプトのガイドは、日本語が出来る者が日本のツアーに同行するらしく、ここではボランティアの通訳さんたちはみなお休みだった。このあと、通訳さんたちの一団と会ったが、休暇らしく皆表情はにこやかで和やかだった。
カルナック神殿は、極彩色の壁画が描かれていたとのことだが、洪水で下方の色は失われている。
人が多い場所だが、ふと静寂を感じる場所もある。
熱波の神殿を抜け、ホテルで夕食。
私が取っていたツアーは1日ルクソール観光なので、今日中に船に戻ることになる。
2日観光でホテルに泊まる人たちと食事を取り、帰りはまたツーリストポリスに護衛されて船へ。
乾燥した地では、星ははっきり見える。
全ての寄港地、そして海を超える最高の夜空が車窓の向こうに広がっていた。
星の位置をつかめば、自分が向かっている方向もわかる。
しかしそれも街中に入るとすぐに消え、船のデッキから夜空を見上げた時には、すでに夜空は白く鈍く光っているだけだった。
2010-05-10 23:59
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