プラス半日着のベルゲン~ノルウェー・ベルゲン1日目~ [寄港地]
予定では午後5時にベルゲン入港とのことだったが、オセアニック号は1時間ほど遅れてベルゲンのあるフィヨルドにしずしずと入っていった。
ベルゲンは緯度で見るとわずかな差でサンクトペテルブルクより北にある。しかし、それほど寒くはなかった。
あとで聞いた話だが、ベルゲンは冬でも凍ることのない天然の良港で、ゆえにあまり寒くならないのだという。
確かに、北欧フル装備で外に出ると途中で暑くなり、コートを持ってふうふう言いながら歩く羽目になる。
ベルゲンの港に入港する前につり橋の下を通る。飾り気のないデザインだが、それがかえって周囲の景色に溶け込ませているようにも見えた。
やがて、タグボートが迎えに来て、オセアニック号は無事にベルゲンのボンテラド埠頭に着岸した。
ベルゲンでも新聞局員と行動することは決まっていたが、この予定外の半日は全く計画になかった。
数日前から頭痛に悩まされていた私は、着岸後も船のデッキからベルゲンの街並みを眺めていた。
港側、右舷デッキの眼下は港の建物が広がり、水産加工の工場だか会社だかの建物が並ぶ。
後方のデッキに回ると、フィヨルドの美しい景色が目に入る。
やはり街の近くであり、人が住んでいることから昼間に見た海ほどの美しさはないが、それでも中々のものである。
右舷デッキに回ってきて、ぼんやりとフィヨルドの景色を眺めていると、すぐ近くにカモメが舞い降りた。
手すりの上に乗り、人間なぞ眼中にもない。目があっても平気である。
互いに距離を保って、共に黄昏のフィヨルドを眺める。しばらくすると、このカモメは悠々と飛び去っていった。
余り暗くならないうちに、港の周辺でも回ってこようと思い、カメラとIDカードだけ持って船を出る。
目の前は公園になっているようだ。入り口の案内板を見上げると、英語の表記もある。
読み方は判然としないが「Bergenhus」という名の城(跡)らしい。
道なりに歩いていくと、ぽつぽつとピースボートの乗船客らしき人たちと行きかう。現地の人もいて、芝生の上で弁当など広げている。
城郭らしき跡地には入れず、重厚な石造りの外壁を見上げ、石垣の上を歩き、石垣の上にたたずんでベルゲンの街を見やる。
石垣の上にいると、目の前を走る車も、まるで何か別の場所からそれを見ているような、不思議な感覚に襲われた。私のいる場所は中世で、夢のスクリーンでも通して未来の景色を見ているかのような感覚。
目の前には、川のような幅の港湾を挟んで、古そうな教会がたたずんでいた。
やや日が陰ってきたので、石垣を降りてまた公園の中を歩く。
やたらと前衛的なオブジェが、芝生の広場のそこかしこに展示されていた。
ノルウェー語なので読めるはずもないのだが、どうも若手の芸術家たちの作品展示会をしているようだ。
説明が読めないので、せめてその造形から作者が作品にこめた意図を推し量ろうとしてみたが、横から見ても縦から見ても、首を傾げて見てもサッパリわからない。逆立ちすればわかったかもしれないが、さすがにそういう気力も度胸もなかった。
暗くなってきたので、オセアニック号に戻る。
すでにクルーズも半行程を過ぎると、オセアニック号自体が家のように思える。遠くからもわかる朱色のファンネル(船の煙突)は、安心感すら覚える色になっていた。
ベルゲンの港は、若い女性の美人監視員さんがいるだけで、港湾内を歩き回ってもうるさく言われない。
船にそって船尾側に向かう。
見れば、我らがオセアニック号のお尻は、タイヤの跡がボコボコと黒くスタンプされてしまっている。
タグボートは船首につけたタイヤで船を押すので仕方がないが、ややかわいそうにも感じる。それは船員さんたちも同じなのか、港に着くと船体を洗ったり、ペンキを塗ったりしているのを良く見かける。
オセアニックのお尻に気をとられている間に、観光用なのか帆船がしずしずと入港してきていた。
カメラを向けた頃にはほぼ隠れてしまっていたが、どうもフィヨルド観光の船のようだ。
帆船を見送り、再びオセアニック号に目を向けると、夕陽がフィヨルドにかかり、黄金の光を投げかけていた。
オセアニックの船尾は影絵のようになり、油絵のような情景になった。
振り向いてみると、山の上まである家々に、夕陽の最後の光が投げかけられていた。
ベルゲンは今でも、山の上の住居までは歩きで行くのだという。
このときですでに夜の10時近く。
夏場、北欧の夜はとても短い。
ベルゲンは緯度で見るとわずかな差でサンクトペテルブルクより北にある。しかし、それほど寒くはなかった。
あとで聞いた話だが、ベルゲンは冬でも凍ることのない天然の良港で、ゆえにあまり寒くならないのだという。
確かに、北欧フル装備で外に出ると途中で暑くなり、コートを持ってふうふう言いながら歩く羽目になる。
ベルゲンの港に入港する前につり橋の下を通る。飾り気のないデザインだが、それがかえって周囲の景色に溶け込ませているようにも見えた。
やがて、タグボートが迎えに来て、オセアニック号は無事にベルゲンのボンテラド埠頭に着岸した。
ベルゲンでも新聞局員と行動することは決まっていたが、この予定外の半日は全く計画になかった。
数日前から頭痛に悩まされていた私は、着岸後も船のデッキからベルゲンの街並みを眺めていた。
港側、右舷デッキの眼下は港の建物が広がり、水産加工の工場だか会社だかの建物が並ぶ。
後方のデッキに回ると、フィヨルドの美しい景色が目に入る。
やはり街の近くであり、人が住んでいることから昼間に見た海ほどの美しさはないが、それでも中々のものである。
右舷デッキに回ってきて、ぼんやりとフィヨルドの景色を眺めていると、すぐ近くにカモメが舞い降りた。
手すりの上に乗り、人間なぞ眼中にもない。目があっても平気である。
互いに距離を保って、共に黄昏のフィヨルドを眺める。しばらくすると、このカモメは悠々と飛び去っていった。
余り暗くならないうちに、港の周辺でも回ってこようと思い、カメラとIDカードだけ持って船を出る。
目の前は公園になっているようだ。入り口の案内板を見上げると、英語の表記もある。
読み方は判然としないが「Bergenhus」という名の城(跡)らしい。
道なりに歩いていくと、ぽつぽつとピースボートの乗船客らしき人たちと行きかう。現地の人もいて、芝生の上で弁当など広げている。
城郭らしき跡地には入れず、重厚な石造りの外壁を見上げ、石垣の上を歩き、石垣の上にたたずんでベルゲンの街を見やる。
石垣の上にいると、目の前を走る車も、まるで何か別の場所からそれを見ているような、不思議な感覚に襲われた。私のいる場所は中世で、夢のスクリーンでも通して未来の景色を見ているかのような感覚。
目の前には、川のような幅の港湾を挟んで、古そうな教会がたたずんでいた。
やや日が陰ってきたので、石垣を降りてまた公園の中を歩く。
やたらと前衛的なオブジェが、芝生の広場のそこかしこに展示されていた。
ノルウェー語なので読めるはずもないのだが、どうも若手の芸術家たちの作品展示会をしているようだ。
説明が読めないので、せめてその造形から作者が作品にこめた意図を推し量ろうとしてみたが、横から見ても縦から見ても、首を傾げて見てもサッパリわからない。逆立ちすればわかったかもしれないが、さすがにそういう気力も度胸もなかった。
暗くなってきたので、オセアニック号に戻る。
すでにクルーズも半行程を過ぎると、オセアニック号自体が家のように思える。遠くからもわかる朱色のファンネル(船の煙突)は、安心感すら覚える色になっていた。
ベルゲンの港は、若い女性の美人監視員さんがいるだけで、港湾内を歩き回ってもうるさく言われない。
船にそって船尾側に向かう。
見れば、我らがオセアニック号のお尻は、タイヤの跡がボコボコと黒くスタンプされてしまっている。
タグボートは船首につけたタイヤで船を押すので仕方がないが、ややかわいそうにも感じる。それは船員さんたちも同じなのか、港に着くと船体を洗ったり、ペンキを塗ったりしているのを良く見かける。
オセアニックのお尻に気をとられている間に、観光用なのか帆船がしずしずと入港してきていた。
カメラを向けた頃にはほぼ隠れてしまっていたが、どうもフィヨルド観光の船のようだ。
帆船を見送り、再びオセアニック号に目を向けると、夕陽がフィヨルドにかかり、黄金の光を投げかけていた。
オセアニックの船尾は影絵のようになり、油絵のような情景になった。
振り向いてみると、山の上まである家々に、夕陽の最後の光が投げかけられていた。
ベルゲンは今でも、山の上の住居までは歩きで行くのだという。
このときですでに夜の10時近く。
夏場、北欧の夜はとても短い。
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