がっかりデンマーク~デンマーク・コペンハーゲン~ [寄港地]
午前7時、オセアニック号はデンマークの首都コペンハーゲンに接岸した。
外に出てみるとどんよりと空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。しかも寒い。
ここのところ、寄港地では好天続きだったので、コペンハーゲンの空は異様に寒々しく感じられた。
デンマークはユーロではなく、デンマーク・クローネという通貨を使っている。
船内に両替商が来るとのことで行ってみると、ユーロで両替してもドルで両替しても同じ額だという。
ドルの方が多少安いはずで、ここでユーロを両替すると多少だが損しそうである。
船内ではドルのみで両替し、ユーロは街中で両替することにする。
今日のルートは、コペンハーゲンの町中にある、ティコ・ブラーエのプラネタリウムに行くこと。
その後は市内のスタンドで自由に乗り降りできるシティバイクを使って港まで戻ることである。
デンマークまで来てプラネタリウムに行きたいという酔狂な人間は船内でも私一人だった模様で、無論のこと一人旅だ。
まず、外に出て歩行者用なのか一段高い場所にある広い歩道を歩いていく。
白い船が港に停泊していた。この辺りを周回するフェリーか定期船なのだろうか。
しばらく歩くと、人魚姫の像の近くに出たので、まず歩道から下に降りる。
シロクマ?らしき像と、人魚姫の立派な像があったが、こちらは後世に作られたもののようだ。
第一、ホンモノの人魚姫の像は…
上海万博に出張中。像があった場所では、24時間モニターテレビでその様子が実況中継されている。
実物を見ればガッカリするというが、これはこれでがっかりである。
がっかりな心を反映するかのように、空はますます雲が厚く暗くなっていく。
行きは電車で行く予定だったが、後から考えてみるとこれは良くなかったように思える。
ともかく、地図を見ると、人魚の像があるのは星の形をしたカステレット要塞であり、この中は通り抜けていくことが可能なようである。
地図で見ると、カステレット要塞は函館の五稜郭を思わせる形をしている。そもそも、五稜郭自体が外国の要塞を模した造りなのだが。
地図は相変わらず英語とデンマーク語しか書かれておらず、やはり多少は英語が読めたほうが得なようである。
何とか解読しつつ、カステレット要塞を歩く。
前方には英語の先生が友人と歩いており、気づくと手など振ってくれる。
のんびりと水鳥の親子が歩いている。誰も彼らを追いかけたりなどしないのだろう、カメラを向けてもきょとんとしている。
カステレット要塞を抜けたので、さて、駅にでも向かおうかと思って見回すと、建物の屋根の間から金色の屋根が見える。
もうコペンハーゲンをそぞろ歩くこともないだろうと思い、金色の屋根に向かって歩いていってみた。
そこは、どうやらロシアの教会のようだった。とはいえ、デンマーク語もロシア語も読めぬので正確なところはわからぬ。修道士らしき姿が見えたのだが、どうも観光客が入るような教会ではないようである。
しかも、金の屋根は教会の直下に来ると隠れてしまって全く見えない。
少し先にまた大きな教会が見えたので、少し歩いていってみる。
白い大きな教会が、道路のど真ん中に鎮座していた。地図を見ると聖フレデリック教会とでもいうのだろうか?大理石の教会でもあるらしい。
さて、寄り道ばかりしてもいられないので、さっさと駅に向かう。
駅はスーパーやカフェ、売店が併設されている。しかし、切符の買い方がわからぬ。
インフォメーションらしき場所を見つけたので、さてここで船内新聞のデンマーク語講座が役立つぞと取り出そうとして、ハタと気がつく。
どうやら、船内新聞を忘れてきたようだ。
気を取り直して英語でインフォメーションの人に話しかけてみたが、英語は全く通じない。
考えてみれば、日本の片田舎とはいえなくともさほど観光地ではない駅のようなものなので、英語が通じないのも仕方がないだろう。
身振り手振りで2回ほどトライし、何とか切符を購入することが出来た。
切符は区域によって値段が分かれているものだが、お世辞にも安いとは言えぬ。
ガッカリというよりグッタリしつつ、電車に乗り込む。
この電車の行き先もよくわからず、目的地に果たして行き着くのか全くわからないので、ムダに電車を数本乗り過ごした。私が行くのは中央駅で、よく見れば反対方向でない限り、ほぼ全ての列車が停まる駅だったのだ。
コペンハーゲンの人はオランダ人の次くらいには自転車を愛しているようで、自転車ごと電車に乗り込む。自転車持ち込みの人専用の車両まである。
電車の窓は日本の新幹線のようなもので、開かないようになっている。人の吐息のせいか、窓はやや曇っていた。電車は一段低い場所を通っているので、曇った窓から透かして見えるのは、コンクリートの壁のみである。
さて、そんなうちに中央駅に着く。中央駅は非常に混雑しており、トイレもマクドナルドも皆混んでいる。
とにかく両替所を探して行くと、そこだけはやや空いていた。ユーロを両替したが、船内よりやや小銭が増えた程度のレートである。
外に出て、ティコ・ブラーエのプラネタリウム目指して歩く。屋台のホットドッグ、コンビニの菓子、全てが日本の1.5~2倍ほどの値段である。
プラネタリウムの入場料が不明なので、とにかくそのまま歩く。
有名なチボリ公園から駅を挟んで斜め反対側、昔のお堀のような場所のほとりにティコ・ブラーエのプラネタリウムはあった。
コペンハーゲンは昔、城塞都市であったそうなので、堀もその名残なのだろう。
不安ながら入ってみて、やはり英語は通じないが若い大学出たてくらいの職員と、片言の英語でやり取りして、チケットを購入することが出来た。
子供用の番組だが構わないか?というが、時間的に他の番組を見ていることはできないので、そのまま入った。チケット代は135デンマーク・クローネだったか。かなりの高額に感じる。
入ってみると、当然のことながら全てがデンマーク語である。しかし、88の星座を暗記している私には、そんなものは関係ない。
天上には古星図。日付などで下の金の棒の先についた球体が動くので、太陽の位置を示すものなのだろう。
プラネタリウムの名前でもある、ティコ・ブラーエの絵やプロフィールも展示されている。使っていた天体器具のレプリカまで置いてあった。
ティコ・ブラーエのことを書くとページが足りなくなるが、ティコはそもそもデンマークの天文学者で、今はもう建物自体がないそうだが、ベーンという島に自分の天文台を持っていた。
これがその天文台のことを書いた絵である。
ティコの新星や、月のクレーターでティコの名を聞いたことがある人もいるかもしれない。
とにかく飛ばしていく。
プラネタリウムらしい展示物がいくつもある。
コペンハーゲン近郊で見える星座の図だろう。
惑星も、円柱状の部屋の中をぐるりと囲むように模型が並ぶ。
最近、日本人宇宙飛行士も滞在して話題となった、宇宙ステーションの模型もあり、これは男の子が熱心に見上げていた。
各惑星のシンボルを刻んだプレートが、その惑星の遠さを現す比率で床に埋められている。
準惑星となった冥王星も、まだ一応残されていた。
色んな星座を見られるモニターをいじっているうちに、プラネタリウムの時間となった。
星座の説明はほんのちょっとで、後は子供向けの3D番組をずっと流していた。この辺は日本のプラネタリウムもデンマークのプラネタリウムも同じようだ。
番組が終わった後、私はプラネタリウムの機械を指差し、「アレはどこのメーカーのものか?」とたずねたが、デンマーク語で「お帰りはあちらです。3Dメガネはそこに置いて行って下さい」とにこやかに追い出されてしまった。
やはり、英語ではなくその国の言葉を覚えていった方がいいようだ。
何か記念品をと、プラネタリウムの売店を見ると、デンマーク語の星座早見があった。
欲しかったのだが、90クローネ近い、法外な値段がついていた。
どうしようかと他を見たが、どうもぱっとしたものは見当たらない。
すると、星座早見の横に、ミソッカスな感じで置かれている傘が目に入った。
木製の柄にティコ・ブラーエプラネタリウムと外観を意匠化した紋が刻まれている。
青い布に、前後二ヶ所、コペンハーゲンの夜空の星座が描かれていた。値段は40クローネほど。星座早見の半値である。
おかしい。安すぎる。きっと、一ケタ0が落ちてしまったに違いない。もしくは、40の前に1がついていたに違いない。
私は床を見つめて落ちたらしき0や1を探したが、見当たらない。
仕方がないので、売店のおじさんにこれはいくらか問う。
おじさんは笑顔で40クローネの値札を指し示した。「マジで?」と思わず日本語で叫んだが、おじさんは笑顔でうなずいた。なにやら通じたらしい。
傘を買い求め、意気揚々とプラネタリウムを出た。
外に出て、プラネタリウムの外観の写真を撮ったりしていると、ピースボート御一行様のバスが停車しており、通訳ボランティアの女の子が、バスのドアの横でツアー番号のカードを持っておろおろしている。
そんなこんなのうちに、我らがクルーズディレクター氏が、ツアーリーダーのオレンジシャツを着てものすごい勢いで目の前を通過していく。
「一人足りない~~~~~~!!」
どうやら、水辺の散策をしているうちに、お一人が迷子になった模様だ。大人だから、迷い人か。
ツアーでは、大体一人はこういう人が出てくるようだ。
迷い人はクルーズディレクター氏に任せ、ぶらぶらとチボリ公園に向かって歩く。
地図によれば、このチボリ公園の近くにシティバイクの置き場があるようなのだ。
しかし、自転車に乗るその前に、まずはコペンハーゲンの市庁舎に向かう。
コペンハーゲン市庁舎には、有名な天文時計があるとのことだったが、市庁舎を歩き回っても、外を歩き回っても、どこに時計があるのか皆目わからない。
仕方なく。
よく意味のわからない銅像を眺め…
市庁舎前の広場でさらに意味不明の銅像を眺めて、チボリ公園前に戻る。
チボリ公園の前には、シティバイクがずらりと並んでいた。
しかし、どれも欧米人用のサドルの高さであり、うかつにまたがることも出来ない。サドルの高さを調整しようとしても、錆びているのか元々固いのか、全くもって動かない。
諦めようかと思ったところに、東洋人の青年二人が自転車に乗って戻ってきた。
二人のうち一人の背丈が私と同じ程度だったので、試しに乗ってみるとなんとかサドルにまたがることが出来た。
コペンハーゲンのシティバイクは、日本のようにハンドルにブレーキがついていない。ペダル逆回転で止まることができるタイプのブレーキだ。
コレがわかっていないと、ハンドルばかり握り締めていて自転車は止まらず、水路に落ちるか車にぶつかるかして死んでしまうだろう。
ともかく走り出したが、背中のリュックサックにはティコ・ブラーエのプラネタリウムの傘が、騎士の槍か剣のごとく突き刺してあり、東洋人程度では驚きもせぬコペンハーゲン市民がぎょっとして見送る格好となった。
地図を見つつ、港の近くである人魚姫の像のシティバイクの駐輪場を目指して走る。
自分が考えていた経路は、市庁舎前の広場にある道をずっと北上し、King's Gardensという公園の横を通り抜け、カステレット要塞沿いに人魚姫の像までたどり着くというコースだ。
しかし、どうも道を一本間違えたのか二本間違えたのか、公園らしきものは全く見えず、再び市庁舎の屋根が遠く見える始末。
王宮のような場所の周囲をくるくる回っていたようで、どうもクリスチャンボーの周囲を彷徨っていたようだ。
余談だが、デンマークではボーとは城の事で、クリスチャンボー城と表記すると城城となってしまうのだという。
それはさておき。
どこかもわからぬ運河の横あたりで、小雨だったものがはっきりと強く降り出した。
リュックサックからレインポンチョを取り出し、かぶってみたが寒さが沁みる。
それより、場所が全くわからぬ心細さが、余計に寒さを感じさせた。
市庁舎の屋根も見えず、自転車レーンもほぼなくなり、どこともわからぬ水辺で私は完全に迷っていた。
シンガポールの時と違い、運よく場所がわかるようなところではない。
デンマーク語もわからず、まさに途方に暮れていたとき、傍らを一台の路線バスが走りぬけた。その先を見ると、バス停がある。
バス停には地図があり、現在地の停留所と、前後の停留所が書かれている。文字を見て、道路の形を見て、私は次の停留所を目指した。前後どちらかの停留所につけば、この場所がわかるはずである。ル・アーブルでの経験からきたことだった。
傘をリュックから飛び出させて自転車に乗る私に、コペンハーゲンっ子たちのビックリしたような視線が後を追う。
次の停留所から現在地を割り出し、私はようやく安堵した。場所は港から川沿いに南下した場所で、アマリエンボーより少し南側だった。
気を良くした私は、ついでにアマリエンボーでも見ていこうと自転車で走り出し、赤いコートに黒い毛皮の兵隊さんたちが、ちょうど交代をするところを見た。
ピースボートらしき観光客、他のヨーロッパから来たらしき観光客がかなりいた。
雨も強くなってきたので、とにかく自転車を置いてきてしまおうと、私はカステレット要塞を海沿いに抜け、シティバイクの置き場を探した。
しかし、いくら探してもサイクルポートはない。
地図を見て、シティバイクについているサイクルポートの場所を見る。
どうもずれているし、シティバイクには6ヶ所の置き場があると書かれているが、地図にはそれ以上の置き場が書かれている。
私はカステレット要塞を何往復もし、とうとう店じまいをしていた人魚姫の像近くの土産物屋に、サイクルポートの場所を問うた。
答えは「自転車の地図も手持ちの地図も間違っているよ」とのこと。
ガックリして、私は他のサイクルポートを探すべく、再びアマリエンボーへ向かった。
行きにサイクルポートの位置をきちんと調べておくべきだったと、後悔しきりで自転車を走らせる。
自転車の地図には、午前中に訪れた大理石教会の裏手にサイクルポートがあるはずだが、地図ではアマリエンボーの外側にある庭にサイクルポートのマークがある。
探し回ったが、そのどちらにもサイクルポートはない。
仕方なく、ウォーターフロントを南下して、他のポートを探そうとヨタヨタ走っていると、新聞局の人と出会った。
どうも、同じくシティバイクに乗っていたのだが、店に入ろうと外に置いておいたら誰かに乗られていってしまったのだという。
シティバイクは20クローネコインを入れて鍵を外し、サイクルポートで再び鍵を差し込むことで20クローネ硬貨が戻ってくる。20クローネ欲しさに乗っていく住民もいるのだろう。
彼がまた乗りたいというので、私はシティバイクをこの上なく快く譲った。
ただ、地図に書かれている場所にサイクルポートがなかった旨はきちんと話した。
すると、彼は確かにサイクルポートを見たので、そこに置いてくると言ってくれたうえに、私に20クローネ渡して颯爽と去っていった。
彼に深く感謝し、私は買ったばかりのティコ・ブラーエのプラネタリウムの傘を開いた。
雨の中を彷徨っているうちに、レインポンチョを透過して雨が服にしみていた。買ったばかりとごねている場合ではなかった。
傘を差して歩いていると、自転車に乗っているうちには気づかなかったコペンハーゲン市民の生活ぶりが見えてきた。
彼らは傘を差さない。
自転車に乗っている人は元より、歩きの人でも傘を差しているのは観光客くらいなもの。
子どもを自転車に乗せている人は、台車のようになった前部に子どもを乗せ、子どもも雨に打たれたまま平気でいる。たまに、台車に覆いがついたタイプのものを見かける。
私はこの傘が安かった理由を悟った。
この国では、傘の存在意義が低すぎるのだ。
私は歩きに歩いて、ようやくオセアニック号の停泊する港の近くまでたどり着いた。
土産物屋をのぞいてみたが、特に有意義そうな品はない。琥珀を売る店があったが、とにかく高すぎる。
渡されたままポケットに入っていた20クローネコインでアイスを買い、我ながら寒いのになんでこんなもんを食べているんだろうと心中首を傾げつつ船に戻った。
熱いシャワーを浴びて寒気を振り払い、食事をした後は部屋に篭って本などを読んでいた。
私の部屋はエンジンルームの上にあり、エンジンがアイドリングになったとき、動き出す時などが音でわかる。
エンジンの回転数が早くなり、歯車がかみ合っていく気配を感じて、私は再びデッキに出た。
出航時に音楽を流すPAチームと、他の若い乗客たちがデッキに並び、去り行くコペンハーゲンの港を見やっていた。雨はすでに上がっていた。
港には、ジョギングの最中だったらしき若い男女が、こちらに向かってにこやかに手を振っている。
「デンマークがっかりだったー!」
「オレたちの払った税金で幸せになれよー!」
船上でこんな叫びが放たれているとは露ほども思っていないだろう。若い男女は相変わらずにこやかに手を振っている。
船室に帰りながら、私は思った。
確かにデンマークは色々とがっかりな部分が多々あった。私にしてみると、サイクルポートの位置がハッキリしなかったのが最大のがっかりだっただろう。
しかし。
叫んでいた彼らが、デンマーク人を幸せに出来るほどの税金を払った=買い物をしたようにはとても思えない。
外に出てみるとどんよりと空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。しかも寒い。
ここのところ、寄港地では好天続きだったので、コペンハーゲンの空は異様に寒々しく感じられた。
デンマークはユーロではなく、デンマーク・クローネという通貨を使っている。
船内に両替商が来るとのことで行ってみると、ユーロで両替してもドルで両替しても同じ額だという。
ドルの方が多少安いはずで、ここでユーロを両替すると多少だが損しそうである。
船内ではドルのみで両替し、ユーロは街中で両替することにする。
今日のルートは、コペンハーゲンの町中にある、ティコ・ブラーエのプラネタリウムに行くこと。
その後は市内のスタンドで自由に乗り降りできるシティバイクを使って港まで戻ることである。
デンマークまで来てプラネタリウムに行きたいという酔狂な人間は船内でも私一人だった模様で、無論のこと一人旅だ。
まず、外に出て歩行者用なのか一段高い場所にある広い歩道を歩いていく。
白い船が港に停泊していた。この辺りを周回するフェリーか定期船なのだろうか。
しばらく歩くと、人魚姫の像の近くに出たので、まず歩道から下に降りる。
シロクマ?らしき像と、人魚姫の立派な像があったが、こちらは後世に作られたもののようだ。
第一、ホンモノの人魚姫の像は…
上海万博に出張中。像があった場所では、24時間モニターテレビでその様子が実況中継されている。
実物を見ればガッカリするというが、これはこれでがっかりである。
がっかりな心を反映するかのように、空はますます雲が厚く暗くなっていく。
行きは電車で行く予定だったが、後から考えてみるとこれは良くなかったように思える。
ともかく、地図を見ると、人魚の像があるのは星の形をしたカステレット要塞であり、この中は通り抜けていくことが可能なようである。
地図で見ると、カステレット要塞は函館の五稜郭を思わせる形をしている。そもそも、五稜郭自体が外国の要塞を模した造りなのだが。
地図は相変わらず英語とデンマーク語しか書かれておらず、やはり多少は英語が読めたほうが得なようである。
何とか解読しつつ、カステレット要塞を歩く。
前方には英語の先生が友人と歩いており、気づくと手など振ってくれる。
のんびりと水鳥の親子が歩いている。誰も彼らを追いかけたりなどしないのだろう、カメラを向けてもきょとんとしている。
カステレット要塞を抜けたので、さて、駅にでも向かおうかと思って見回すと、建物の屋根の間から金色の屋根が見える。
もうコペンハーゲンをそぞろ歩くこともないだろうと思い、金色の屋根に向かって歩いていってみた。
そこは、どうやらロシアの教会のようだった。とはいえ、デンマーク語もロシア語も読めぬので正確なところはわからぬ。修道士らしき姿が見えたのだが、どうも観光客が入るような教会ではないようである。
しかも、金の屋根は教会の直下に来ると隠れてしまって全く見えない。
少し先にまた大きな教会が見えたので、少し歩いていってみる。
白い大きな教会が、道路のど真ん中に鎮座していた。地図を見ると聖フレデリック教会とでもいうのだろうか?大理石の教会でもあるらしい。
さて、寄り道ばかりしてもいられないので、さっさと駅に向かう。
駅はスーパーやカフェ、売店が併設されている。しかし、切符の買い方がわからぬ。
インフォメーションらしき場所を見つけたので、さてここで船内新聞のデンマーク語講座が役立つぞと取り出そうとして、ハタと気がつく。
どうやら、船内新聞を忘れてきたようだ。
気を取り直して英語でインフォメーションの人に話しかけてみたが、英語は全く通じない。
考えてみれば、日本の片田舎とはいえなくともさほど観光地ではない駅のようなものなので、英語が通じないのも仕方がないだろう。
身振り手振りで2回ほどトライし、何とか切符を購入することが出来た。
切符は区域によって値段が分かれているものだが、お世辞にも安いとは言えぬ。
ガッカリというよりグッタリしつつ、電車に乗り込む。
この電車の行き先もよくわからず、目的地に果たして行き着くのか全くわからないので、ムダに電車を数本乗り過ごした。私が行くのは中央駅で、よく見れば反対方向でない限り、ほぼ全ての列車が停まる駅だったのだ。
コペンハーゲンの人はオランダ人の次くらいには自転車を愛しているようで、自転車ごと電車に乗り込む。自転車持ち込みの人専用の車両まである。
電車の窓は日本の新幹線のようなもので、開かないようになっている。人の吐息のせいか、窓はやや曇っていた。電車は一段低い場所を通っているので、曇った窓から透かして見えるのは、コンクリートの壁のみである。
さて、そんなうちに中央駅に着く。中央駅は非常に混雑しており、トイレもマクドナルドも皆混んでいる。
とにかく両替所を探して行くと、そこだけはやや空いていた。ユーロを両替したが、船内よりやや小銭が増えた程度のレートである。
外に出て、ティコ・ブラーエのプラネタリウム目指して歩く。屋台のホットドッグ、コンビニの菓子、全てが日本の1.5~2倍ほどの値段である。
プラネタリウムの入場料が不明なので、とにかくそのまま歩く。
有名なチボリ公園から駅を挟んで斜め反対側、昔のお堀のような場所のほとりにティコ・ブラーエのプラネタリウムはあった。
コペンハーゲンは昔、城塞都市であったそうなので、堀もその名残なのだろう。
不安ながら入ってみて、やはり英語は通じないが若い大学出たてくらいの職員と、片言の英語でやり取りして、チケットを購入することが出来た。
子供用の番組だが構わないか?というが、時間的に他の番組を見ていることはできないので、そのまま入った。チケット代は135デンマーク・クローネだったか。かなりの高額に感じる。
入ってみると、当然のことながら全てがデンマーク語である。しかし、88の星座を暗記している私には、そんなものは関係ない。
天上には古星図。日付などで下の金の棒の先についた球体が動くので、太陽の位置を示すものなのだろう。
プラネタリウムの名前でもある、ティコ・ブラーエの絵やプロフィールも展示されている。使っていた天体器具のレプリカまで置いてあった。
ティコ・ブラーエのことを書くとページが足りなくなるが、ティコはそもそもデンマークの天文学者で、今はもう建物自体がないそうだが、ベーンという島に自分の天文台を持っていた。
これがその天文台のことを書いた絵である。
ティコの新星や、月のクレーターでティコの名を聞いたことがある人もいるかもしれない。
とにかく飛ばしていく。
プラネタリウムらしい展示物がいくつもある。
コペンハーゲン近郊で見える星座の図だろう。
惑星も、円柱状の部屋の中をぐるりと囲むように模型が並ぶ。
最近、日本人宇宙飛行士も滞在して話題となった、宇宙ステーションの模型もあり、これは男の子が熱心に見上げていた。
各惑星のシンボルを刻んだプレートが、その惑星の遠さを現す比率で床に埋められている。
準惑星となった冥王星も、まだ一応残されていた。
色んな星座を見られるモニターをいじっているうちに、プラネタリウムの時間となった。
星座の説明はほんのちょっとで、後は子供向けの3D番組をずっと流していた。この辺は日本のプラネタリウムもデンマークのプラネタリウムも同じようだ。
番組が終わった後、私はプラネタリウムの機械を指差し、「アレはどこのメーカーのものか?」とたずねたが、デンマーク語で「お帰りはあちらです。3Dメガネはそこに置いて行って下さい」とにこやかに追い出されてしまった。
やはり、英語ではなくその国の言葉を覚えていった方がいいようだ。
何か記念品をと、プラネタリウムの売店を見ると、デンマーク語の星座早見があった。
欲しかったのだが、90クローネ近い、法外な値段がついていた。
どうしようかと他を見たが、どうもぱっとしたものは見当たらない。
すると、星座早見の横に、ミソッカスな感じで置かれている傘が目に入った。
木製の柄にティコ・ブラーエプラネタリウムと外観を意匠化した紋が刻まれている。
青い布に、前後二ヶ所、コペンハーゲンの夜空の星座が描かれていた。値段は40クローネほど。星座早見の半値である。
おかしい。安すぎる。きっと、一ケタ0が落ちてしまったに違いない。もしくは、40の前に1がついていたに違いない。
私は床を見つめて落ちたらしき0や1を探したが、見当たらない。
仕方がないので、売店のおじさんにこれはいくらか問う。
おじさんは笑顔で40クローネの値札を指し示した。「マジで?」と思わず日本語で叫んだが、おじさんは笑顔でうなずいた。なにやら通じたらしい。
傘を買い求め、意気揚々とプラネタリウムを出た。
外に出て、プラネタリウムの外観の写真を撮ったりしていると、ピースボート御一行様のバスが停車しており、通訳ボランティアの女の子が、バスのドアの横でツアー番号のカードを持っておろおろしている。
そんなこんなのうちに、我らがクルーズディレクター氏が、ツアーリーダーのオレンジシャツを着てものすごい勢いで目の前を通過していく。
「一人足りない~~~~~~!!」
どうやら、水辺の散策をしているうちに、お一人が迷子になった模様だ。大人だから、迷い人か。
ツアーでは、大体一人はこういう人が出てくるようだ。
迷い人はクルーズディレクター氏に任せ、ぶらぶらとチボリ公園に向かって歩く。
地図によれば、このチボリ公園の近くにシティバイクの置き場があるようなのだ。
しかし、自転車に乗るその前に、まずはコペンハーゲンの市庁舎に向かう。
コペンハーゲン市庁舎には、有名な天文時計があるとのことだったが、市庁舎を歩き回っても、外を歩き回っても、どこに時計があるのか皆目わからない。
仕方なく。
よく意味のわからない銅像を眺め…
市庁舎前の広場でさらに意味不明の銅像を眺めて、チボリ公園前に戻る。
チボリ公園の前には、シティバイクがずらりと並んでいた。
しかし、どれも欧米人用のサドルの高さであり、うかつにまたがることも出来ない。サドルの高さを調整しようとしても、錆びているのか元々固いのか、全くもって動かない。
諦めようかと思ったところに、東洋人の青年二人が自転車に乗って戻ってきた。
二人のうち一人の背丈が私と同じ程度だったので、試しに乗ってみるとなんとかサドルにまたがることが出来た。
コペンハーゲンのシティバイクは、日本のようにハンドルにブレーキがついていない。ペダル逆回転で止まることができるタイプのブレーキだ。
コレがわかっていないと、ハンドルばかり握り締めていて自転車は止まらず、水路に落ちるか車にぶつかるかして死んでしまうだろう。
ともかく走り出したが、背中のリュックサックにはティコ・ブラーエのプラネタリウムの傘が、騎士の槍か剣のごとく突き刺してあり、東洋人程度では驚きもせぬコペンハーゲン市民がぎょっとして見送る格好となった。
地図を見つつ、港の近くである人魚姫の像のシティバイクの駐輪場を目指して走る。
自分が考えていた経路は、市庁舎前の広場にある道をずっと北上し、King's Gardensという公園の横を通り抜け、カステレット要塞沿いに人魚姫の像までたどり着くというコースだ。
しかし、どうも道を一本間違えたのか二本間違えたのか、公園らしきものは全く見えず、再び市庁舎の屋根が遠く見える始末。
王宮のような場所の周囲をくるくる回っていたようで、どうもクリスチャンボーの周囲を彷徨っていたようだ。
余談だが、デンマークではボーとは城の事で、クリスチャンボー城と表記すると城城となってしまうのだという。
それはさておき。
どこかもわからぬ運河の横あたりで、小雨だったものがはっきりと強く降り出した。
リュックサックからレインポンチョを取り出し、かぶってみたが寒さが沁みる。
それより、場所が全くわからぬ心細さが、余計に寒さを感じさせた。
市庁舎の屋根も見えず、自転車レーンもほぼなくなり、どこともわからぬ水辺で私は完全に迷っていた。
シンガポールの時と違い、運よく場所がわかるようなところではない。
デンマーク語もわからず、まさに途方に暮れていたとき、傍らを一台の路線バスが走りぬけた。その先を見ると、バス停がある。
バス停には地図があり、現在地の停留所と、前後の停留所が書かれている。文字を見て、道路の形を見て、私は次の停留所を目指した。前後どちらかの停留所につけば、この場所がわかるはずである。ル・アーブルでの経験からきたことだった。
傘をリュックから飛び出させて自転車に乗る私に、コペンハーゲンっ子たちのビックリしたような視線が後を追う。
次の停留所から現在地を割り出し、私はようやく安堵した。場所は港から川沿いに南下した場所で、アマリエンボーより少し南側だった。
気を良くした私は、ついでにアマリエンボーでも見ていこうと自転車で走り出し、赤いコートに黒い毛皮の兵隊さんたちが、ちょうど交代をするところを見た。
ピースボートらしき観光客、他のヨーロッパから来たらしき観光客がかなりいた。
雨も強くなってきたので、とにかく自転車を置いてきてしまおうと、私はカステレット要塞を海沿いに抜け、シティバイクの置き場を探した。
しかし、いくら探してもサイクルポートはない。
地図を見て、シティバイクについているサイクルポートの場所を見る。
どうもずれているし、シティバイクには6ヶ所の置き場があると書かれているが、地図にはそれ以上の置き場が書かれている。
私はカステレット要塞を何往復もし、とうとう店じまいをしていた人魚姫の像近くの土産物屋に、サイクルポートの場所を問うた。
答えは「自転車の地図も手持ちの地図も間違っているよ」とのこと。
ガックリして、私は他のサイクルポートを探すべく、再びアマリエンボーへ向かった。
行きにサイクルポートの位置をきちんと調べておくべきだったと、後悔しきりで自転車を走らせる。
自転車の地図には、午前中に訪れた大理石教会の裏手にサイクルポートがあるはずだが、地図ではアマリエンボーの外側にある庭にサイクルポートのマークがある。
探し回ったが、そのどちらにもサイクルポートはない。
仕方なく、ウォーターフロントを南下して、他のポートを探そうとヨタヨタ走っていると、新聞局の人と出会った。
どうも、同じくシティバイクに乗っていたのだが、店に入ろうと外に置いておいたら誰かに乗られていってしまったのだという。
シティバイクは20クローネコインを入れて鍵を外し、サイクルポートで再び鍵を差し込むことで20クローネ硬貨が戻ってくる。20クローネ欲しさに乗っていく住民もいるのだろう。
彼がまた乗りたいというので、私はシティバイクをこの上なく快く譲った。
ただ、地図に書かれている場所にサイクルポートがなかった旨はきちんと話した。
すると、彼は確かにサイクルポートを見たので、そこに置いてくると言ってくれたうえに、私に20クローネ渡して颯爽と去っていった。
彼に深く感謝し、私は買ったばかりのティコ・ブラーエのプラネタリウムの傘を開いた。
雨の中を彷徨っているうちに、レインポンチョを透過して雨が服にしみていた。買ったばかりとごねている場合ではなかった。
傘を差して歩いていると、自転車に乗っているうちには気づかなかったコペンハーゲン市民の生活ぶりが見えてきた。
彼らは傘を差さない。
自転車に乗っている人は元より、歩きの人でも傘を差しているのは観光客くらいなもの。
子どもを自転車に乗せている人は、台車のようになった前部に子どもを乗せ、子どもも雨に打たれたまま平気でいる。たまに、台車に覆いがついたタイプのものを見かける。
私はこの傘が安かった理由を悟った。
この国では、傘の存在意義が低すぎるのだ。
私は歩きに歩いて、ようやくオセアニック号の停泊する港の近くまでたどり着いた。
土産物屋をのぞいてみたが、特に有意義そうな品はない。琥珀を売る店があったが、とにかく高すぎる。
渡されたままポケットに入っていた20クローネコインでアイスを買い、我ながら寒いのになんでこんなもんを食べているんだろうと心中首を傾げつつ船に戻った。
熱いシャワーを浴びて寒気を振り払い、食事をした後は部屋に篭って本などを読んでいた。
私の部屋はエンジンルームの上にあり、エンジンがアイドリングになったとき、動き出す時などが音でわかる。
エンジンの回転数が早くなり、歯車がかみ合っていく気配を感じて、私は再びデッキに出た。
出航時に音楽を流すPAチームと、他の若い乗客たちがデッキに並び、去り行くコペンハーゲンの港を見やっていた。雨はすでに上がっていた。
港には、ジョギングの最中だったらしき若い男女が、こちらに向かってにこやかに手を振っている。
「デンマークがっかりだったー!」
「オレたちの払った税金で幸せになれよー!」
船上でこんな叫びが放たれているとは露ほども思っていないだろう。若い男女は相変わらずにこやかに手を振っている。
船室に帰りながら、私は思った。
確かにデンマークは色々とがっかりな部分が多々あった。私にしてみると、サイクルポートの位置がハッキリしなかったのが最大のがっかりだっただろう。
しかし。
叫んでいた彼らが、デンマーク人を幸せに出来るほどの税金を払った=買い物をしたようにはとても思えない。
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