無料の観光スポットツアー~イタリア・ナポリ~ [寄港地]
イタリアのナポリ港着岸予定は午前7時。
停船してからだいぶたった9時前に、カメラを手にノソノソとデッキに出てみる。
「ナポリを見て死ね」とのことわざがあるほどの美しい港、ナポリ。
その美しさはいかばかりか…?
工事中でした@@;
気を取り直して改めて、工事中の向こうを見やれば、これまた山のように大きな豪華客船が停泊している。
船体の文字を見ると「MSC SINFONIA」という船のようだ。
後部デッキ、ティキバー側に出てみると、山の上に城らしきものが見える。
オセアニック号の後ろに船が停泊していたが、客船ではなさそうだった。
さて、今日はぶらり一人旅なので気楽に支度して気楽に船外へ出る。
ギリシャ出航後から体調不良で、誰かと一緒に行った場合、シンガポールの時のように迷惑をかけそうだったからである。
先に下調べをして、観覧にお金がいらない名所をピックアップしておいてある。
港の建物から出ると、PA担当スタッフと一緒にいる、知り合いの子が。
どうも、寝坊(?)して他の人に置いていかれたらしい。ということで、自分が体調不良であることと、今日行くと目星つけている場所は、無料のスポットだということを念押ししてから出発。
ナポリは旅行好きの母が一度訪れており、話はよ~く聞いていた。
とにかく、交通事情が良くないらしい。といっても電車の便とかバスとかそういう問題ではなく、交通マナーが良くないらしい。
ナポリだけ、ナポリっ子のバス運転手が交代して観光バスを運転したらしいのだ。
しかし、ピースボートのツアーはイタリア周遊ではないし、私は自由行動でバスには乗らぬ。
歩行者信号も、歩き始めるとすぐに点滅を始めてしまう。
見ていると泡食って横断歩道を走り出すのは観光客(日本人)ばかりで、地元民は平然と渡っている。
それもそのはずで、点滅してからが長いのである。まぁまぁ歩いて渡れる程度には。
最初の目的地は卵城。
プレビシート広場を挟んで、白い聖堂と王宮がある。
聖堂の前からドンドコドンドコ音がするので行ってみると、同じ船に乗っている知り合いが二人、大小の和太鼓を叩いている。
ギリシャでは叩きどころが悪かった(??)のか、警察官に追いかけられたそうだが、ナポリは開放的なようで、大道芸人と勘違いした人たちがコインを入れていく。
実際、ナポリは大道芸人というか、彫像のようにたたずんで人が来ると動いてチラシを配るアルバイトや、道端で楽器を弾く人が多かった。
さて、和太鼓の二人が捕縛されないように願いつつ、卵城へ。
卵城(Castel dell'Ovo)とは奇妙な名だが、この城の基礎には卵が埋め込まれていて、その卵が割れた時、城もナポリも滅ぶという言い伝えがあるという。
以前に聞いたことがあり、是非とも来てみたかった場所である。
ナポリの破滅を握っている場所にしては静かで、穏やかな空気が流れている。
屋上はポカポカと日差しが暖かく、不覚にもうたた寝をしてしまいそうになるところだった。
卵城から出て、先ほどの聖堂近くにあるカフェに。
ナポリのカフェの中にはボッタクリ系の店もあると聞いたが、学生らしき若い子たちが入っていったカフェなので大丈夫だろうと見当を付けて入る。
中は狭く、ちょっとした食品や煙草、酒を扱う小売の店と、パンやコーヒーを出すカフェが混在している店だった。狭くとも、カウンターの中にはきちんとしたエスプレッソメーカーがあり、バリスタがいる。
ここのバリスタは若い女性で、パンとエスプレッソを頼むと、パンを食べ終わる頃合いを見計らってエスプレッソを淹れてくれる。
逆に言うと、パンを食べ終わるまでコーヒーは決して出てこない。
母から「イタリアのエスプレッソは本当に旨い」と聞いていたので、コーヒー苦手な私も飲んで見る気になったのだ。言われたとおり、これは確かに旨かった。
エスプレッソとパンで2~3ユーロほどだったと記憶している。同行していた子はカフェラテを頼んでいた。
この店の外ではジェラートも売っていて、少し暑いし食べようかとショーケースを覗き込めば、何がなにやらわからない。
唯一、イタリア語で覚えていた果物系の単語は「リモーネ(レモン)」だけだったので、試しにリモーネと言ったらレモンジェラートが無事に出てきた。
同行していた子は身振り手振りで、美味しそうなジェラートをうまくゲットしていた。
リモーネのジェラートは素材の味が生かされていて、かなり酸っぱかったがサッパリ系の味だった。
さて、これからどうしようかということで、とりあえずもうひとつ調べてあった無料スポットのサンテルモ城へ。
サンテルモ城は、オセアニック号のティキバーから見た写真の、山の上にあった城。
麓から律儀に登っていくと、もれなく私だけへたばるだろう。
ということで、ケーブルカーを探す。
とはいえ、日本人が想像するようなフニクリフニクラと景色がいいケーブルカーではなく、坂道を登る地下鉄のようなケーブルカーである。
しかし、道をショートカットするつもりがナポリの小道に迷い込んでしまい、裏路地のマリア像を3つほど発見した後、ようやく大通りに出た。
そこでケーブルカーの駅を探そうと、地元の人に尋ねてみるが、「ケーブルカー」といっても首をひねるばかり。
そのうち、思い当たったように道を示してくれたが、どうもそれは港のほうである。
試しに「フニクリフニクラ」と呪文のように唱えてみると、「フィニコラーレ(finicolare)?」と言って、ケーブルカーの駅にきちんと案内してくれた。
やはり北杜夫氏が言うとおり、その土地の単語は面倒がらずにいくつか覚えておいた方が良いようだ。
さて問題のフィニコラーレ。
市民の足だけあって、1ユーロ半と安いし、乗り継ぎも時間内なら何度でも出来るようだ。
1928という数字が刻まれていて、その頃から市民の足として親しまれているらしい。
山頂に着いたが、サンテルモ城まではかなりあるようだ。
看板を頼りにだいぶ歩いて、途中のスーパーで飲み物などを買ってさらに歩く。
ようやく、サンテルモ城に到着。何か芸術系の展覧会のようなものをやっているらしく、一部は立ち入りが制限されていた。
展覧会場になっているところは華やかだが、そうでない場所は見てのとおり寂れ気味である。
星型の城塞で、見晴らしは非常に良い。
遠くにベスビオ火山、港の方向にはオセアニック号が停泊しているのが見える。先ほど訪れた卵城も見えた。
真下をウッカリ見なければ、高所恐怖症でも大丈夫である。
他のピースボートのスタッフ&各船内チームと行き違ったりしながら、ナポリ港を目指す。
スタッフの中には、夕方5時までに戻って荷物の受け取りをしなければならないという人もいて、オチオチ船から離れられない人もいた。
私は再び頭痛がしてきて、薬を飲むために一端船へ。同行していた子は、途中で会った他の子と一緒に他の場所を見るとのことで、港で別れる。
薬を飲んで一回休み、やや回復してくるとやはりバール(BAR)でビールでも飲もうかという気になり、再びノコノコと外に出る。(※薬を飲んだ後の飲酒はいけません)
外は思った以上に明るい。
ナポリの緯度は青森くらい。これから北へ向かえば、もっと夜が短くなっていくことになる。
ナポリの港の看板は、それなりにオシャレである。
BARを探していると、パン屋に船内で見たような日本人の姿が。目があって話をしてみると、客ではなく船員さんだった。
何の気なしに注文したパンが、実は中にカルボナーラのようなパスタがぎっしり詰まっているという「大物」で、ほとほと持て余していたという。持ち帰ろうにも、もう少し減らさないと重くて持っていけないとのことで、自分も小さいパンを注文してそこの店に陣取り、自分のパンを片付けつつパスタパンも少々片付けることに。
ビールを飲める場所を探しているというと、その人もビールを飲もうとしていたとのことで、港の中にあるバールに行くことに。
船員さんは乗客よりずっと早く船に戻らないといけないとのことだ。
ビールを飲みつつ話していると、この方は船のマッサージ室の先生だった。
モンテッソーリ幼稚園の先生と勘違いしていたことがバレた私は、朝の太極拳に全く参加していないこともまたバレてしまった。
マッサージの先生と別れ、もう一回ナポリの町をぶらつく。
どくとるマンボウ航海記に出ていた「トースト」の記述が美味しそうだったので注文してみたが…
ハムとチーズを挟んだだけの、やや黒く香ばしすぎる程度に焼かれたトーストが出てきた。
すでに半世紀、あのトーストはもうないのか、それともミラノあたりでしかないものなのか、どちらかだろう。
イタリアは、北部と南部では料理が全く違うとも聞くし。
またジェラート屋を見つけたので、またもリモーネジェラートを頼み、食べながら港へ戻ろうとすると難関発生。
ナポリの横断歩道は大きな道路にあるものでも、信号がない場合がある。
車はビュンビュン走っていて、歩行者がいるからと止まる気配はない。地元の人たちは疾走する車の間を抜けるように渡っている。
ジェラートを食べつくすまで考えてから、ナポリっ子の真後ろにぴったり付いて渡るという方法を考案した。
間違っても「みんなで渡れば怖くない」などと、ナポリで考えてはいけないだろう。みんな仲良く車にはねられるのがオチである。
無事に港につき、土産物屋などをのぞいてから桟橋をぶらりと歩く。
夕焼けの中、ベスビオ山が湾の向こうに見えていた。この写真を撮った時刻が夜の8時半。
まだまだ明るい。
出航は夜の10時。
オセアニックオークションで、出航時にドラを鳴らす権利を獲得した人が、ドラを鳴らしてデッキを歩く。
美しいナポリの夜景を見ながら、オセアニック号は静かにイタリアを出発した。
停船してからだいぶたった9時前に、カメラを手にノソノソとデッキに出てみる。
「ナポリを見て死ね」とのことわざがあるほどの美しい港、ナポリ。
その美しさはいかばかりか…?
工事中でした@@;
気を取り直して改めて、工事中の向こうを見やれば、これまた山のように大きな豪華客船が停泊している。
船体の文字を見ると「MSC SINFONIA」という船のようだ。
後部デッキ、ティキバー側に出てみると、山の上に城らしきものが見える。
オセアニック号の後ろに船が停泊していたが、客船ではなさそうだった。
さて、今日はぶらり一人旅なので気楽に支度して気楽に船外へ出る。
ギリシャ出航後から体調不良で、誰かと一緒に行った場合、シンガポールの時のように迷惑をかけそうだったからである。
先に下調べをして、観覧にお金がいらない名所をピックアップしておいてある。
港の建物から出ると、PA担当スタッフと一緒にいる、知り合いの子が。
どうも、寝坊(?)して他の人に置いていかれたらしい。ということで、自分が体調不良であることと、今日行くと目星つけている場所は、無料のスポットだということを念押ししてから出発。
ナポリは旅行好きの母が一度訪れており、話はよ~く聞いていた。
とにかく、交通事情が良くないらしい。といっても電車の便とかバスとかそういう問題ではなく、交通マナーが良くないらしい。
ナポリだけ、ナポリっ子のバス運転手が交代して観光バスを運転したらしいのだ。
しかし、ピースボートのツアーはイタリア周遊ではないし、私は自由行動でバスには乗らぬ。
歩行者信号も、歩き始めるとすぐに点滅を始めてしまう。
見ていると泡食って横断歩道を走り出すのは観光客(日本人)ばかりで、地元民は平然と渡っている。
それもそのはずで、点滅してからが長いのである。まぁまぁ歩いて渡れる程度には。
最初の目的地は卵城。
プレビシート広場を挟んで、白い聖堂と王宮がある。
聖堂の前からドンドコドンドコ音がするので行ってみると、同じ船に乗っている知り合いが二人、大小の和太鼓を叩いている。
ギリシャでは叩きどころが悪かった(??)のか、警察官に追いかけられたそうだが、ナポリは開放的なようで、大道芸人と勘違いした人たちがコインを入れていく。
実際、ナポリは大道芸人というか、彫像のようにたたずんで人が来ると動いてチラシを配るアルバイトや、道端で楽器を弾く人が多かった。
さて、和太鼓の二人が捕縛されないように願いつつ、卵城へ。
卵城(Castel dell'Ovo)とは奇妙な名だが、この城の基礎には卵が埋め込まれていて、その卵が割れた時、城もナポリも滅ぶという言い伝えがあるという。
以前に聞いたことがあり、是非とも来てみたかった場所である。
ナポリの破滅を握っている場所にしては静かで、穏やかな空気が流れている。
屋上はポカポカと日差しが暖かく、不覚にもうたた寝をしてしまいそうになるところだった。
卵城から出て、先ほどの聖堂近くにあるカフェに。
ナポリのカフェの中にはボッタクリ系の店もあると聞いたが、学生らしき若い子たちが入っていったカフェなので大丈夫だろうと見当を付けて入る。
中は狭く、ちょっとした食品や煙草、酒を扱う小売の店と、パンやコーヒーを出すカフェが混在している店だった。狭くとも、カウンターの中にはきちんとしたエスプレッソメーカーがあり、バリスタがいる。
ここのバリスタは若い女性で、パンとエスプレッソを頼むと、パンを食べ終わる頃合いを見計らってエスプレッソを淹れてくれる。
逆に言うと、パンを食べ終わるまでコーヒーは決して出てこない。
母から「イタリアのエスプレッソは本当に旨い」と聞いていたので、コーヒー苦手な私も飲んで見る気になったのだ。言われたとおり、これは確かに旨かった。
エスプレッソとパンで2~3ユーロほどだったと記憶している。同行していた子はカフェラテを頼んでいた。
この店の外ではジェラートも売っていて、少し暑いし食べようかとショーケースを覗き込めば、何がなにやらわからない。
唯一、イタリア語で覚えていた果物系の単語は「リモーネ(レモン)」だけだったので、試しにリモーネと言ったらレモンジェラートが無事に出てきた。
同行していた子は身振り手振りで、美味しそうなジェラートをうまくゲットしていた。
リモーネのジェラートは素材の味が生かされていて、かなり酸っぱかったがサッパリ系の味だった。
さて、これからどうしようかということで、とりあえずもうひとつ調べてあった無料スポットのサンテルモ城へ。
サンテルモ城は、オセアニック号のティキバーから見た写真の、山の上にあった城。
麓から律儀に登っていくと、もれなく私だけへたばるだろう。
ということで、ケーブルカーを探す。
とはいえ、日本人が想像するようなフニクリフニクラと景色がいいケーブルカーではなく、坂道を登る地下鉄のようなケーブルカーである。
しかし、道をショートカットするつもりがナポリの小道に迷い込んでしまい、裏路地のマリア像を3つほど発見した後、ようやく大通りに出た。
そこでケーブルカーの駅を探そうと、地元の人に尋ねてみるが、「ケーブルカー」といっても首をひねるばかり。
そのうち、思い当たったように道を示してくれたが、どうもそれは港のほうである。
試しに「フニクリフニクラ」と呪文のように唱えてみると、「フィニコラーレ(finicolare)?」と言って、ケーブルカーの駅にきちんと案内してくれた。
やはり北杜夫氏が言うとおり、その土地の単語は面倒がらずにいくつか覚えておいた方が良いようだ。
さて問題のフィニコラーレ。
市民の足だけあって、1ユーロ半と安いし、乗り継ぎも時間内なら何度でも出来るようだ。
1928という数字が刻まれていて、その頃から市民の足として親しまれているらしい。
山頂に着いたが、サンテルモ城まではかなりあるようだ。
看板を頼りにだいぶ歩いて、途中のスーパーで飲み物などを買ってさらに歩く。
ようやく、サンテルモ城に到着。何か芸術系の展覧会のようなものをやっているらしく、一部は立ち入りが制限されていた。
展覧会場になっているところは華やかだが、そうでない場所は見てのとおり寂れ気味である。
星型の城塞で、見晴らしは非常に良い。
遠くにベスビオ火山、港の方向にはオセアニック号が停泊しているのが見える。先ほど訪れた卵城も見えた。
真下をウッカリ見なければ、高所恐怖症でも大丈夫である。
他のピースボートのスタッフ&各船内チームと行き違ったりしながら、ナポリ港を目指す。
スタッフの中には、夕方5時までに戻って荷物の受け取りをしなければならないという人もいて、オチオチ船から離れられない人もいた。
私は再び頭痛がしてきて、薬を飲むために一端船へ。同行していた子は、途中で会った他の子と一緒に他の場所を見るとのことで、港で別れる。
薬を飲んで一回休み、やや回復してくるとやはりバール(BAR)でビールでも飲もうかという気になり、再びノコノコと外に出る。(※薬を飲んだ後の飲酒はいけません)
外は思った以上に明るい。
ナポリの緯度は青森くらい。これから北へ向かえば、もっと夜が短くなっていくことになる。
ナポリの港の看板は、それなりにオシャレである。
BARを探していると、パン屋に船内で見たような日本人の姿が。目があって話をしてみると、客ではなく船員さんだった。
何の気なしに注文したパンが、実は中にカルボナーラのようなパスタがぎっしり詰まっているという「大物」で、ほとほと持て余していたという。持ち帰ろうにも、もう少し減らさないと重くて持っていけないとのことで、自分も小さいパンを注文してそこの店に陣取り、自分のパンを片付けつつパスタパンも少々片付けることに。
ビールを飲める場所を探しているというと、その人もビールを飲もうとしていたとのことで、港の中にあるバールに行くことに。
船員さんは乗客よりずっと早く船に戻らないといけないとのことだ。
ビールを飲みつつ話していると、この方は船のマッサージ室の先生だった。
モンテッソーリ幼稚園の先生と勘違いしていたことがバレた私は、朝の太極拳に全く参加していないこともまたバレてしまった。
マッサージの先生と別れ、もう一回ナポリの町をぶらつく。
どくとるマンボウ航海記に出ていた「トースト」の記述が美味しそうだったので注文してみたが…
ハムとチーズを挟んだだけの、やや黒く香ばしすぎる程度に焼かれたトーストが出てきた。
すでに半世紀、あのトーストはもうないのか、それともミラノあたりでしかないものなのか、どちらかだろう。
イタリアは、北部と南部では料理が全く違うとも聞くし。
またジェラート屋を見つけたので、またもリモーネジェラートを頼み、食べながら港へ戻ろうとすると難関発生。
ナポリの横断歩道は大きな道路にあるものでも、信号がない場合がある。
車はビュンビュン走っていて、歩行者がいるからと止まる気配はない。地元の人たちは疾走する車の間を抜けるように渡っている。
ジェラートを食べつくすまで考えてから、ナポリっ子の真後ろにぴったり付いて渡るという方法を考案した。
間違っても「みんなで渡れば怖くない」などと、ナポリで考えてはいけないだろう。みんな仲良く車にはねられるのがオチである。
無事に港につき、土産物屋などをのぞいてから桟橋をぶらりと歩く。
夕焼けの中、ベスビオ山が湾の向こうに見えていた。この写真を撮った時刻が夜の8時半。
まだまだ明るい。
出航は夜の10時。
オセアニックオークションで、出航時にドラを鳴らす権利を獲得した人が、ドラを鳴らしてデッキを歩く。
美しいナポリの夜景を見ながら、オセアニック号は静かにイタリアを出発した。
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