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戦争の傷跡は今もまだ・・・~ベトナム・ダナン~ [寄港地]

 二番目の寄港地ベトナムへは、無事に到着。
 10ドル両替して、やってきたのは大量の現地通貨・ドン。
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 10数万ドンあります。気分だけ大金持ち。寄港地情報の紙によれば、1米ドルで約19,000ドン。自分で出航前に調べたレートでは、1ドン=0.0049円。
 これって、つまりインフレーションですよね・・・?

 ここではオプショナルツアーをとっていました。交流コースのダナンDコース「ベトナム戦争の傷跡をたどる」。
 潮位の関係か、舷門はなんと6階。そして・・・
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 ベトナム・ダナン・ティエンサ港、大強風。人が降りるそばから帽子がすっ飛ばされていく。

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 アモイの時と打って変わっての晴天ですが、ヒドイ強風は出航するまでずっと続いていました。
 バスに乗って、最初の訪問先である「穴の家(K20)」に向かいます。
 ダナンの市街はバイク(スクーター)天国。
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 みな、眼鏡やサングラスをかけ、マスクをして、きちんとヘルメットをかぶってスクーターに一人で乗ったり二人乗りしたり、中には子供と奥さんで三人乗りなんて離れ業も。日本で真似したら確実に逮捕です。

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 途中で小型のバス(というよりワンボックスカー)に乗り換え、穴の家がある場所を目指します。
 そこに行くまでの間は、まるで昔の日本の農村風景のような、のどかな畑が広がっていました。
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 川で遊ぶ子供たち。
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 そんな光景を見ながら、私たちは穴の家があるという場所に着きました。
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 もらったベトナムのカサ(ノン)をかぶっていましたが、押さえていないとノンが飛び、首にかけていた紐でノンは飛ばないがもれなく首が絞まるというデッドオアアライブ。

 穴の家は、ベトナム戦争時代にゲリラをかくまっていたという家で、今も人が住んでいる。
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 今回は、見学のために家の中を見せてくれるのだという。玄関?には仏壇があり、そこの祭壇の下に地下への穴はあった。この穴から「穴の家」と呼ばれているらしい。
 仏壇の下に抜け穴を作ったのは、アメリカ軍が検分に来ても、宗教の違いで祭壇下の穴は宗教上の何かと思われ、深く詮索されなかったからだそうである。
 これが抜け穴の写真。近すぎて大きさがよくわからないが、さほど大きくはない穴だったように記憶している。
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 抜け穴はその家の地下に入り、外へ抜けることも出来る。
 ツアーには13歳の少年が参加していたが、彼でようやく入れるほどの狭さ。
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 彼は抜け穴を通り、外の穴から出てきた。外の穴は、地面がごく普通に崩れた程度の穴。昔はもう少し広かったのだろうか?と思っていると、説明で「こういった穴を利用していたゲリラは、ほとんどの人が細かった」とのこと。
 穴の中には途中に地下室のような空間があったが、さほど広くはなかったとのことだ。

 次に向かったのは、枯葉剤被害者支援センター。
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 ここは規模が小さいものだそうで、住宅街の真ん中にあった。
 枯葉剤の被害は、ベトナム戦争でまかれてから今もずっと、続いている。
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 動かない手で懸命に握手しようとする子どもたちは、突然来た大量の「外国人」に、少し興奮気味のようだった。
 小さな赤ちゃんたちも、センターで保護されていた。
 余談だが、スクーターやバイクでの移動が基本のベトナムでは・・・
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 車椅子風のバイクもある。このバイクに乗っている男性は、これでスイスイと移動していた。
 この支援センターは狭いので、別の場所にあるもう一つのセンターへ向かう。

 途中では、サトウキビらしきものを売っていた。
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 もう一つのセンターは、かなりの広さがある場所。
 ステージが真ん中にあり、両脇にはかつてのピースボートで使用していた船の写真が飾られていた。
 ここで昼食なので、ミネラルウォーターが配られる。
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 私はお茶を持参していたので飲まなかったが、センターの子どもが飲んでくれた。

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 センターの子どもたちによる、ベトナム伝統の踊り。

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 センターの人たちが作った、ベトナムの家庭料理。
 外に面しているので、小バエが寄ってきたが、手で追い払いながら食事する。それより、風が強いので作って遊んでいた紙飛行機やおりづるも吹き飛ばされてしまう。
 子どもたちはすでに食事を済ませていたとのことで、食事はツアーの人たちだけだった。
 穴の家からこの施設までは、Dコースだけでなく、おりづるプロジェクトという被爆者としての証言活動をするチームも来ていた。おりづるプロジェクトと行動を共にしていた、映像チームのスタッフは背広で汗だく。
 センターの人の話、おりづるプロジェクトの話などを聞いていると、非常ベルのようなものすごい音が、断続的に外で響いていた。
 何かと思えば・・・
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 センターのすぐ横は鉄道の線路。非常ベルのような音は、踏切の警報機の音だったのだ。

 その後、子どもたちと別れて、ホー・チ・ミン博物館へ。
 おりづるプロジェクトは、博物館ではなく学校で証言活動をするとかで、ここでお別れ。
 博物館へ行っても風は強く、外の戦車やら大砲やらのレプリカをゆっくり眺めていられない。
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 ここには、ホー・チ・ミン博物館の名の通り、ホー・チ・ミンの生家のレプリカがある。
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 二階にも行けるとのことだったが、人数が多いので全員は上がれない。さらに、私はガッチリ紐を結ぶタイプの靴だったので、靴を脱ぐのが面倒で上には行かなかった。
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 ホー・チ・ミンの像やベトナムの歴史資料などを納めた博物館を見てから移動し、ハン市場という大きな市場を見学。
 市場は外の露天と、大きな二階建ての建物の中にある店と大体分かれていた。
 外の露天も中の店も、やはり掛け値が大きい。交渉が必要である。手首をつかんで離さないなどの強引さも目立ち、一人で歩き回るのはやめたほうがいい。複数で行って、一人が腕をつかまれたら助けるというような連係プレーも必要だろう。
 実際、腕をつかまれてパニックになり、走り回っているうちに出口を見失って迷子になってしまった人もいる。
 体感的に市場では、ドンで支払うより米ドル払いのほうが喜ばれた気がする。米ドルが通じる場所に行くのならば、無理にドンに両替する必要はないのかもしれない。

 その次は、ピースボートのベトナムでの受け入れ先NGOである、ダナン青年連盟へ。
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 ここでは、アオザイを作ることが出来る。特別に、日本円でも購入可能だ。
 この青年連盟はピースボートの交流プログラムに直接参加もしており、今回はそれぞれパートナーとなるピースボートのメンバーとダナン市内を自転車やバイクで案内してくれたという。
 基本、運転は青年連盟の人たちだが、ピースボートでこのプログラムに参加した男の子の中には、パートナーの女の子が自転車で来て、「風も強いし、自分を乗せて女の子が自転車こぐのは可哀想」と、自分が強風の中果敢にペダルをこぎ、疲れてしまった人もいたとか。

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 青年連盟の敷地から外に出ると、大きな川が。その対岸に、SANYOの文字を見つけて写真を撮る。他に日本企業の看板はなかったような気もする。

 港にもどり、デッキから下を見ると、ダナン青年同盟のメンバーが見送りに来てくれていた。
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 ダナン青年同盟との交流プログラムを選択していた人たちは、別れに涙、涙。
 彼らは船が出るまで1時間以上港で待ち、船が出るのをきちんと見送ってくれた。

 強い風に船が揺れるかと思ったが、さほどは揺れず。
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 船は黄昏の中を、ダナンからゆっくりと離れていった。
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