SSブログ

帰り支度 [地球一周の船旅]

 残り3日ほどになってきたこの頃、私も急に日本が懐かしく、恋しくなってきた。
 新聞局とブッカーでも、日本に帰ったら食べたいものが話題に次々に上る。
 ラーメン、ジュース、刺身、せんべい、和菓子、あんこ、寿司(回っているもの)、緑茶など、挙げればキリがない。
 私は焼き鳥が食べたくなった。炭火で焼いて焦げ目が付いているやつだ。特に焼き鳥が好きなわけではないのだが、食べたいと思うといつまでも炭火と焼き鳥が頭の中をぐるぐる回っている。
 ビールは特に要らなかった。太平洋に出てからほぼずっと、寝酒はビールだった。

 そんな夢想をしている私たちに、新聞局で印刷を手伝ってくれている方が、荷物整理をしていたら出てきたというあられやおかきのセットを持って来てくれた。
 新聞&ブッカーメンバーは狂喜乱舞し、スタッフさんたちでさえ「一個ちょうだい!」と走ってきた。売店の菓子類も無くなり、みな、日本の味に飢えていたのである。
 私が口に放り込んだ一個は緑色で、抹茶味希望だったがワサビ味だった。いつもなら苦悶するが、このときはワサビのツーンとした刺激ですら懐かしく感じた。
 日本のローカロリージュースなども、みんなが飲みたいと思っているものだった。外国のものは、とかく菓子でもジュースでもカロリーが高いのだ。

 局長新聞もこっそり進んでおり、局長とブッカースタッフさんに隠れて紙も確保していた。
 局長の写真は結局誰一人盗み撮りできず、私はスタッフ紹介の写真を撮影してイラストレーター陣に渡した。
 あまりに小さな写真なので不満が出たが、もうどうしようもなかった。

 新聞局の撤収準備も始まっていた。
 局長代理のヘラジカのぬいぐるみは、局員の一人に引き取ってもらえることになっていた。
 途中下船した局員が置いていった、トリニティカレッジのセーターを着たくまさんのぬいぐるみは、私が一応持って帰ることにした。機会があれば、途中下船した局員さんに渡したかったからだ。
 ポッキーの空き箱を利用したオブジェは捨てざるを得なかった。これにはみな涙した。
 机上から局員の私物が消え、局内で使用していた私物も各局員が引き取っていった。
 ピースボートに寄贈するものはそのまま置いていかれた。私は卓上カレンダーを置いていくことにした。

 ピースボートのスタッフさんの中には、「世界もう一周」という辞令が下された人もいた。
 船は短いピッチで再び世界一周の旅に出てしまうので、日用品を買い込む暇は無い。そこで、とあるスタッフさんは妙案を考え付いた。
 残ってしまったシャンプーやリンス、ボディーシャンプーや石けんなどを引き取りますと広告を出したところ、荷物を少しでも少なくしようとしているおばさまたちが、あっという間に残り数センチとなったシャンプーにリンスにボディソープを持ち込んできた。
 中には、見ただけでわかるサロン直売の高級品もある。
 しかし、そういったものは中身に反比例して容器は通常販売されている商品より格段に大きく、従ってあまり広くないピースボートセンターはたちまち9割ほど空になっている容器で埋め尽くされてしまった。
 とうとう一人のスタッフさんが怒った。「募集を締め切りなさい!」
 募集中のスタッフさんはぽそぽそと言った。「締め切ったけど来るんです…」
 などとやっている間にも、掲示をしつこく覚えているおばさま方が、シャンプーやらリンスを持って来る始末。
 この騒ぎは、ピースボートセンターが締め切られるまで続いた。

 また別の小さな騒動もあった。
 帰り支度用にピースボートでは500円で段ボール箱を販売するのだが、リピーターやピースボートセンターにいた人は、先に段ボール箱を持って来ている人が多かった。もしくは、私のように、一昔前のドロボウのように、風呂敷包みを担いで帰るしかない。
 ピースボートのスタッフが出払っているのを幸いに、局長新聞を作っていると、ジャマイカのバスで騒ぎを起こしたおばはんが現れ、ダンボールは無いのかと聞いてくる。どうやら、500円を出さずにタダで段ボール箱をゲットしようと目論んでやってきたようだ。
 ありませんよ、というと、案の定キレてスタッフのくせにどうのこのと言い出したので、私はなるべく静かに「ここにいるのは全員スタッフじゃありません」と言った。
 返ってきたのはこんなお言葉だった。「それじゃなんでここにいるのよ!」
 やはりこのおばはんは、新聞局などの組織もわかっていないようだった。
 おばはんを追い返してから、私は憤然として吠えた。「だから安いツアーは参加者も安いって言われるのよ!」
 前に座っていたブッカーを手伝っている奥様がクスッと笑い、私は自分も安いツアーの参加者であると悟って赤面した。

 モンテッソーリ洋上幼稚園も閉園となったようで、先生たちが子どもたちを連れて、スタッフの皆さんに挨拶に来ていた。
 そのうちの一人は、船に乗ったときにはベビーカーにずっと乗っていたのに、もう一人で歩いていた。子どもの成長はすごく早い。
 映像担当のスタッフさんが、名場面を撮影しようとハンディカメラを掴んで走っていくので、私もカメラを掴んで写真をとりつつ、様子をビデオにおさめておいた。
 モンテッソーリの子どもたちとよく遊んでいる局員さんたちがいて、その子達がこの映像を見たがるだろうと思ったからだ。
 あとで見せると喜んでくれた。

 帰り支度は着々とすすんでいたが、個人的な帰り支度は絶望的だった。
 もともと、荷物を手際よくまとめる才能は持ち合わせておらず、部屋は散らかっており、加えて太平洋の予想外の寒さで冬物をまた引っ張り出し、トランクはほぼ空っぽの状態に戻っていた。
 4人部屋では、まだ荷物整理が済んでいないと、他のメンバーが寄ってたかって詰め込み、見事荷物を仕上げたなんて部屋もあったが、自分は一人部屋である。
 空のトランクに冬物をいくつか仕舞い込み、それだけで疲れてベッドにひっくり返る始末。
 ついにはその惨状を写真に収めている有様である。だがここでその写真を公開する勇気は全く無い。
 それでも何とか荷物を詰め終え、はみ出た分はオミヤゲの紙袋などに詰め込んだ。
 横浜までに割れる予定だったクローバーのカップも無事で、昔とった杵柄の知識で頑丈に梱包され、説明会の注意書きにあったとおりに手荷物に入れた。
 くまちゃんも紙袋にひょいと入れたが、別にそのときはこの行動を深く考えていたわけではなかった。

 ようやく梱包もある程度終わり、私は忘れ物が無いかとソファの下を覗き込むと、見慣れない傘など入っている。私のティコ・ブラーエプラネタリウムの傘はきちんとあり、折りたたみ傘もある。
 前の乗船者かその前の乗船者の忘れ物か、感じからすると置いていったのか。
 フロントに通報するのも面倒なので、私はそのままもう一回ソファの下に傘を押し込んだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

横浜下船説明会四人部屋悲喜交々 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。