大西洋~カリブ海であった色々な出来事 [船上コラム・我思ふ]
部屋にはハウスキーパーさんが必ずついている。
私のいるフロアのハウスキーパーさんは、愛想がないが仕事は速くかつ清潔。
彼女が仕事を終えた後の部屋は、髪の毛一本落ちておらず、バスルームには水滴もない。
たまにバスマットを忘れていったが、それは人間だもの仕方がない。
このハウスキーパーさんにいつかお礼をしたいと思っていたら、彼女はサンクトペテルブルクで下船してしまっていた。
それがわかったのが大西洋上だ。
彼女の名前はいかにもというロシアの名前で、早めに気がつくべきだった。
自分の去り際も悟らせぬ彼女の仕事ぶりには、ある意味敬意を払いたい。
代わって入ってきたのは愛想がいいハウスキーパーさんだが、どうも手順と清潔さで前任者に劣る。
愛想か、仕事かと言われれば、私は仕事というだろう。ハウスキーパーともなればなおさらのことだ。
などと偉そうに言っているが、私自身の部屋の使い方は惨憺たるもので、風の谷のナウシカの腐海みたいと言われるほどのひどさである。もっとも、船上なので虫は出てこない。
私はせめてハウスキーパーさんのお手を煩わせるまいと、ベッドと床の上にだけはモノを置かなかった。
ハウスキーパーさんたちも心得ていて、ソファとローボードの上にだけは手を出さなかった。
おかげでローボード上は世界中のみやげ物が並ぶまさに混沌ぶりを呈し、終いにはノートパソコンも置けなくなって、パソコン用のキャリアバッグに詰めたままとなってしまった。必要なときは新聞局で使用するというトンデモナイ状況だ。
また、気がつくのが遅かったのだが、手持ちのタオルがなくなっていた。
そのタオルは船内の備え付けタオルと色は似ているものの、しっかりとエンボス加工で花柄が一面に配置されたデザインだったのでまさかと思っていたが、どうも間違えて持っていかれたらしい。
レセプションに届けてみたが、結局戻ることはなかった。
同じ頃、ピースボートセンターでも備品の紛失に悩んでいた。
大きなものはウクレレで、数に限りがあるので私物化されてしまうと困る。
小物もちょこちょこ戻ってこない。
特に、メディアブースでは紛失物がひどく、一番多いのはボールペンや鉛筆、シャープペンシルといった筆記具だ。
はさみは無くなる、定規は消える、糊もセロテープも紛失となると、さすがにこちらも困ってしまう。
船上の備品は有限で、買い足しができるのは横浜港に戻ってからだ。
もっと困ったことに、この紛失備品はかなり乗船者のものが含まれていたということだ。
局員もブッカーも映像も写真もPAも、基本的にスタッフ一人に乗船者がボランティアとして手伝っている。
これで当たり前のように持って行かれてはたまらない。
局員の一人が「名前を書いてもダメなんだ…」というので、私は新聞局の備品から自分のものまで、全てに「新聞局」と書いた紙を張って回った。
それでもやはりなくなり、後々善意の方々から「○○さんが新聞局と書かれたボールペンを持っている」「○○号室で新聞局と書かれた鉛筆を見た」と通報があったものの、結局取り戻すことはできなかったのである。
仕方なく、私は「どうしても取られたくないものは、肌身離さず貸さないように」という、平和的でない自衛法を新聞局で伝播せざるを得なくなった。
私自身、母がスミソニアン博物館から土産品として買ってきた「宇宙ボールペン」を所持しており、これはなくすわけには行かなかったのだ。
このボールペンを持ってきたのには理由があり、天井に向けても書くことができることから、寄港地などでメモをするときに書きやすいだろうと思ってもってきたのだ。
決して、船がひっくり返ったときに時世の句を書くために持ってきたのではない。
しかし考えてみると、物がなくなるといった船内モラルハザードの始まりが、ヨーロッパ付近からだったように思える。
そういえば、今までの記述とはあまり関係がないが、実は船会社の人たちは表側(乗船客がいるスペース)に出ることはあまりない。
私もよく見る船の方というと、いつもメニューを印刷しに来る方などがほとんどで、他は見ない。
他の船員さんも表のことは良く知らないらしく、ある日メニュー印刷をしていた職員さんに、他の職員さんがにこやかに手を振りながら走ってきて、そのままガラスの壁に激突してしまった。
船の人もこういうことがあるのかと驚きつつも、思わず医者を呼びそうになった事件だった。
私のいるフロアのハウスキーパーさんは、愛想がないが仕事は速くかつ清潔。
彼女が仕事を終えた後の部屋は、髪の毛一本落ちておらず、バスルームには水滴もない。
たまにバスマットを忘れていったが、それは人間だもの仕方がない。
このハウスキーパーさんにいつかお礼をしたいと思っていたら、彼女はサンクトペテルブルクで下船してしまっていた。
それがわかったのが大西洋上だ。
彼女の名前はいかにもというロシアの名前で、早めに気がつくべきだった。
自分の去り際も悟らせぬ彼女の仕事ぶりには、ある意味敬意を払いたい。
代わって入ってきたのは愛想がいいハウスキーパーさんだが、どうも手順と清潔さで前任者に劣る。
愛想か、仕事かと言われれば、私は仕事というだろう。ハウスキーパーともなればなおさらのことだ。
などと偉そうに言っているが、私自身の部屋の使い方は惨憺たるもので、風の谷のナウシカの腐海みたいと言われるほどのひどさである。もっとも、船上なので虫は出てこない。
私はせめてハウスキーパーさんのお手を煩わせるまいと、ベッドと床の上にだけはモノを置かなかった。
ハウスキーパーさんたちも心得ていて、ソファとローボードの上にだけは手を出さなかった。
おかげでローボード上は世界中のみやげ物が並ぶまさに混沌ぶりを呈し、終いにはノートパソコンも置けなくなって、パソコン用のキャリアバッグに詰めたままとなってしまった。必要なときは新聞局で使用するというトンデモナイ状況だ。
また、気がつくのが遅かったのだが、手持ちのタオルがなくなっていた。
そのタオルは船内の備え付けタオルと色は似ているものの、しっかりとエンボス加工で花柄が一面に配置されたデザインだったのでまさかと思っていたが、どうも間違えて持っていかれたらしい。
レセプションに届けてみたが、結局戻ることはなかった。
同じ頃、ピースボートセンターでも備品の紛失に悩んでいた。
大きなものはウクレレで、数に限りがあるので私物化されてしまうと困る。
小物もちょこちょこ戻ってこない。
特に、メディアブースでは紛失物がひどく、一番多いのはボールペンや鉛筆、シャープペンシルといった筆記具だ。
はさみは無くなる、定規は消える、糊もセロテープも紛失となると、さすがにこちらも困ってしまう。
船上の備品は有限で、買い足しができるのは横浜港に戻ってからだ。
もっと困ったことに、この紛失備品はかなり乗船者のものが含まれていたということだ。
局員もブッカーも映像も写真もPAも、基本的にスタッフ一人に乗船者がボランティアとして手伝っている。
これで当たり前のように持って行かれてはたまらない。
局員の一人が「名前を書いてもダメなんだ…」というので、私は新聞局の備品から自分のものまで、全てに「新聞局」と書いた紙を張って回った。
それでもやはりなくなり、後々善意の方々から「○○さんが新聞局と書かれたボールペンを持っている」「○○号室で新聞局と書かれた鉛筆を見た」と通報があったものの、結局取り戻すことはできなかったのである。
仕方なく、私は「どうしても取られたくないものは、肌身離さず貸さないように」という、平和的でない自衛法を新聞局で伝播せざるを得なくなった。
私自身、母がスミソニアン博物館から土産品として買ってきた「宇宙ボールペン」を所持しており、これはなくすわけには行かなかったのだ。
このボールペンを持ってきたのには理由があり、天井に向けても書くことができることから、寄港地などでメモをするときに書きやすいだろうと思ってもってきたのだ。
決して、船がひっくり返ったときに時世の句を書くために持ってきたのではない。
しかし考えてみると、物がなくなるといった船内モラルハザードの始まりが、ヨーロッパ付近からだったように思える。
そういえば、今までの記述とはあまり関係がないが、実は船会社の人たちは表側(乗船客がいるスペース)に出ることはあまりない。
私もよく見る船の方というと、いつもメニューを印刷しに来る方などがほとんどで、他は見ない。
他の船員さんも表のことは良く知らないらしく、ある日メニュー印刷をしていた職員さんに、他の職員さんがにこやかに手を振りながら走ってきて、そのままガラスの壁に激突してしまった。
船の人もこういうことがあるのかと驚きつつも、思わず医者を呼びそうになった事件だった。
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