ハイチ緊急支援募金 [ピースボート]
カンボジアの地雷除去、パレスチナ・ガザへの支援(文房具など)などの募金活動を行っているピースボートですが、ハイチで先日起こった大地震への緊急支援を行うことにしました。
ハイチに関しては、国連もほぼ機能できないほどの混乱状態なため、ピースボートスタッフが現地に行くのは困難です。
そこで、集まった募金は国連の機関を通じて被災地に届けることに決定したようです。
災害時における必要な物資は、食料、水、生活物資、衣料品、衛生用品、医薬品、住居など、日々刻々と変わっていきます。
少しでも多くの支援が必要になります。
日本各地のピースボートセンターでも募金活動を行いますが、郵便振込みによる募金も受け付けています。
興味のある方、募金をしたいという方は以下のURLに振込先が明記されています。
http://www.peaceboat.org/info/news/2010/100116.html
ハイチはカリブ海・中南米のみならず、黒人の国家としては1804年に独立。
アフリカ諸国よりも早い、世界で最初の黒人による独立国家です。
全体的に貧困層が多く、世界の最貧国の一つで、自力での復興はかなり難しいと思われます。
日本とハイチの国籍を持つ医師が、ほぼ寝ないで被災者を治療しているそうです。
こういった人たちに、そして現地にいる復興を支援するチームに、そして何よりも被災した方々に、早く必要な支援が届くよう募金活動を頑張りたいと思います。
被災地の一刻も早い復興を願います。
ハイチに関しては、国連もほぼ機能できないほどの混乱状態なため、ピースボートスタッフが現地に行くのは困難です。
そこで、集まった募金は国連の機関を通じて被災地に届けることに決定したようです。
災害時における必要な物資は、食料、水、生活物資、衣料品、衛生用品、医薬品、住居など、日々刻々と変わっていきます。
少しでも多くの支援が必要になります。
日本各地のピースボートセンターでも募金活動を行いますが、郵便振込みによる募金も受け付けています。
興味のある方、募金をしたいという方は以下のURLに振込先が明記されています。
http://www.peaceboat.org/info/news/2010/100116.html
ハイチはカリブ海・中南米のみならず、黒人の国家としては1804年に独立。
アフリカ諸国よりも早い、世界で最初の黒人による独立国家です。
全体的に貧困層が多く、世界の最貧国の一つで、自力での復興はかなり難しいと思われます。
日本とハイチの国籍を持つ医師が、ほぼ寝ないで被災者を治療しているそうです。
こういった人たちに、そして現地にいる復興を支援するチームに、そして何よりも被災した方々に、早く必要な支援が届くよう募金活動を頑張りたいと思います。
被災地の一刻も早い復興を願います。
68回の出航 [ピースボート]
第68回ピースボートの出航を見送ってきました。
最初に、寄港地で披露するダンスのお披露目があって、それを踊ってからダンスメンバーは慌しく乗り込んでいきました。
出航に付き物の紙テープですが、女性の力では中々見送りしている場所まで届かないようです。
男性でも、下手な投げ方をすると真下に落ちてしまいます。
出航シーンでは普通にたなびいている紙テープですが、かなり難しいものなのだと、見ていて思いました。
ピースボートがチャーターしているオセアニック号は、時折真っ黒な煙を吐きながらエンジン音を響かせていました。
ディーゼルエンジンなので、かなりの音です。
出航の曲が流れる中、桟橋が取られると同時にタグボートに引かれ、岸壁を離れていきました。
少し話はそれますが、北杜夫氏の「どくとるマンボウ航海記」では、船が中々岸壁を離れないことが書かれていましたが、確かに、見ていても分からないほどゆっくりと岸壁を離れていました。
しかし、それもタグボートに引かれている間だけのこと。
霧笛を一回鳴らすと、まるで機関車が滑らかに走り出したかのごとく加速し、急に速度を上げて滑るように走り出しました。
すでに走っても追いつけないほどの速さでした。
見る見るうちに船は遠ざかり、ベイブリッジの下を通り抜け、やがてコンテナや倉庫の向こうに船の上部が見え隠れし・・・やがて、吐き出す煙すら雲と見分けが付かなくなってしまいました。
今頃は、どのあたりを航行しているのでしょうか?
旅立った皆さんと会えるのは、約3ヵ月後のことになります。
その時にまた、船内生活の詳しい話が聞けることでしょう。
最初に、寄港地で披露するダンスのお披露目があって、それを踊ってからダンスメンバーは慌しく乗り込んでいきました。
出航に付き物の紙テープですが、女性の力では中々見送りしている場所まで届かないようです。
男性でも、下手な投げ方をすると真下に落ちてしまいます。
出航シーンでは普通にたなびいている紙テープですが、かなり難しいものなのだと、見ていて思いました。
ピースボートがチャーターしているオセアニック号は、時折真っ黒な煙を吐きながらエンジン音を響かせていました。
ディーゼルエンジンなので、かなりの音です。
出航の曲が流れる中、桟橋が取られると同時にタグボートに引かれ、岸壁を離れていきました。
少し話はそれますが、北杜夫氏の「どくとるマンボウ航海記」では、船が中々岸壁を離れないことが書かれていましたが、確かに、見ていても分からないほどゆっくりと岸壁を離れていました。
しかし、それもタグボートに引かれている間だけのこと。
霧笛を一回鳴らすと、まるで機関車が滑らかに走り出したかのごとく加速し、急に速度を上げて滑るように走り出しました。
すでに走っても追いつけないほどの速さでした。
見る見るうちに船は遠ざかり、ベイブリッジの下を通り抜け、やがてコンテナや倉庫の向こうに船の上部が見え隠れし・・・やがて、吐き出す煙すら雲と見分けが付かなくなってしまいました。
今頃は、どのあたりを航行しているのでしょうか?
旅立った皆さんと会えるのは、約3ヵ月後のことになります。
その時にまた、船内生活の詳しい話が聞けることでしょう。
過去の乗船者から情報を集める [ピースボート]
ピースボートセンターに行くと、たまに過去乗船した人がいたりします。
当時とは船が違う場合が多いので、船自体の情報は当てに出来ませんが・・・
旅は旅として、いくつか共通する注意点もあるようです。
まず、よく聞く注意点が、帰りの荷物の発送。
船内で日本に帰る頃になると、段ボール箱が販売されるそうですが、その値段がなんと500円!
(前の方の話なので、もっと値上がりしているかも・・・それにしても高い)
100円ショップで売っている大きな袋を持って行くといいと教えられました。
中には、最初に荷物を送ったときに使用したダンボールを大事にとっておき、それを使ってまた家まで発送した人もいたようです。
お土産などで荷物が増える場合もありますから、袋や箱は事前に用意した方が安く済みそうですね。
水道の水が悪くなるときがある。水周りのトラブルなどなど・・・
考えてみると、現在ピースボートが使用している船は、1965年に作られたとか。
ということは、貯水タンクとか排水、配管の機能をきちんとメンテナンスしていない場合、築45年のマンションが建築当時から変わらずそのまま使用されているのと同じなんですよね(;´▽`A``
というか、そんなに古い船なら、間髪いれずに出航したりしないで、きちんとメンテナンスして欲しいですね^^;
また、長期の航海なので、水は現地で積み込む場合もあるんじゃないかと思います。
酒を造っている土地は水が美味いと聞いたことがありますが、たとえば、ヨーロッパのほとんどでは生水を飲んではいけないと聞きます。
「どこで積み込んだのか?」にもよりますが、あまり水道水を飲まない方がいいのでしょうね。
他にも、参加者が少ないと新鮮な果物が出ないで缶詰の果物が多くなるとか、オプショナルツアーで観光地巡りのようなものばかり取っていると、結果的に費用がかさむこと、持って行った現金(日本円・ドル・ユーロなど)、持って行った方がいいものなど、情報はいろいろです。
病気や怪我になると、船内ではたいした医療行為(特に歯科治療)は受けられないようなので、疾病や歯の病気は出発前に治したほうが良いようです。
あと、船酔い。
段々慣れて免疫になっていくようですが、最後まで船酔いしっぱなしだった人もいるようです。
結構揺れるという人と、そうでもなかったという人がいます。
酔いやすい人のほうが、揺れを大きく感じるものなのでしょうか?
あと、現地の事情で寄港地を変更し、さらに変更先で事故を起こしたこともあるようです。
船内にいる乗客への情報は遅く、海外対応の携帯電話を持っている人のところに日本から電話がかかってきて、ようやく事態を把握したみたいです。
これを聞いて思い出したのが、私の友人の話。
友人はフランスに短期留学したのですが、その留学時に相次いで『日本人が乗った飛行機がハイジャック』『日本人学生の変死事件』と事件が立て続けに起こり、私もそのニュースを見るたびに心臓が跳ねたものです。
しかし、現地の友人はそんなことが日本で報道されているとは知らず、のほほんと帰国して、成田のゲートを出た途端に、迎えに来ていた両親に激しく怒られたそうです。
そりゃ、友人の私もニュースのたびに冷や汗を流していたのですから、ご両親の心配はかなりのものだったでしょうね。
なるべく実家と連絡を取れるように、ノートパソコンを持ち込んでメールのやり取りをしたいなと思っていましたが、どうも衛星を二個ほど経由するらしく、1ページ飛ぶのにかなりの時間がかかる模様。
FAXもできるそうなので、そっちの方が安く済むかもしれません。
このFAXの情報も、過去に乗船した方からいただきました。
当時とは船が違う場合が多いので、船自体の情報は当てに出来ませんが・・・
旅は旅として、いくつか共通する注意点もあるようです。
まず、よく聞く注意点が、帰りの荷物の発送。
船内で日本に帰る頃になると、段ボール箱が販売されるそうですが、その値段がなんと500円!
(前の方の話なので、もっと値上がりしているかも・・・それにしても高い)
100円ショップで売っている大きな袋を持って行くといいと教えられました。
中には、最初に荷物を送ったときに使用したダンボールを大事にとっておき、それを使ってまた家まで発送した人もいたようです。
お土産などで荷物が増える場合もありますから、袋や箱は事前に用意した方が安く済みそうですね。
水道の水が悪くなるときがある。水周りのトラブルなどなど・・・
考えてみると、現在ピースボートが使用している船は、1965年に作られたとか。
ということは、貯水タンクとか排水、配管の機能をきちんとメンテナンスしていない場合、築45年のマンションが建築当時から変わらずそのまま使用されているのと同じなんですよね(;´▽`A``
というか、そんなに古い船なら、間髪いれずに出航したりしないで、きちんとメンテナンスして欲しいですね^^;
また、長期の航海なので、水は現地で積み込む場合もあるんじゃないかと思います。
酒を造っている土地は水が美味いと聞いたことがありますが、たとえば、ヨーロッパのほとんどでは生水を飲んではいけないと聞きます。
「どこで積み込んだのか?」にもよりますが、あまり水道水を飲まない方がいいのでしょうね。
他にも、参加者が少ないと新鮮な果物が出ないで缶詰の果物が多くなるとか、オプショナルツアーで観光地巡りのようなものばかり取っていると、結果的に費用がかさむこと、持って行った現金(日本円・ドル・ユーロなど)、持って行った方がいいものなど、情報はいろいろです。
病気や怪我になると、船内ではたいした医療行為(特に歯科治療)は受けられないようなので、疾病や歯の病気は出発前に治したほうが良いようです。
あと、船酔い。
段々慣れて免疫になっていくようですが、最後まで船酔いしっぱなしだった人もいるようです。
結構揺れるという人と、そうでもなかったという人がいます。
酔いやすい人のほうが、揺れを大きく感じるものなのでしょうか?
あと、現地の事情で寄港地を変更し、さらに変更先で事故を起こしたこともあるようです。
船内にいる乗客への情報は遅く、海外対応の携帯電話を持っている人のところに日本から電話がかかってきて、ようやく事態を把握したみたいです。
これを聞いて思い出したのが、私の友人の話。
友人はフランスに短期留学したのですが、その留学時に相次いで『日本人が乗った飛行機がハイジャック』『日本人学生の変死事件』と事件が立て続けに起こり、私もそのニュースを見るたびに心臓が跳ねたものです。
しかし、現地の友人はそんなことが日本で報道されているとは知らず、のほほんと帰国して、成田のゲートを出た途端に、迎えに来ていた両親に激しく怒られたそうです。
そりゃ、友人の私もニュースのたびに冷や汗を流していたのですから、ご両親の心配はかなりのものだったでしょうね。
なるべく実家と連絡を取れるように、ノートパソコンを持ち込んでメールのやり取りをしたいなと思っていましたが、どうも衛星を二個ほど経由するらしく、1ページ飛ぶのにかなりの時間がかかる模様。
FAXもできるそうなので、そっちの方が安く済むかもしれません。
このFAXの情報も、過去に乗船した方からいただきました。
Yes!キャンペーン [ピースボート]
先日といってもずいぶん前ですが、10月24日土曜日に、ピースボートセンター埼玉で「ヒバクシャプロジェクト」が行われました。
ピースボートは以前、広島・長崎の被爆者103名と共に、世界一周をするクルーズを企画しました。
その時のドキュメンタリー映画が、今度国連でサイドイベントとして放映されるようですね。
埼玉に在住している、世界一周の旅に参加した被爆者の方、広島の原爆資料館で案内のボランティアをしている方の話を聞きました。
大学時代、アメリカ学の教授から、アメリカの原爆投下についての話や、アメリカ国民の考え方を聞いていましたが、それ以上に生々しい、被爆したからこその意見は非常に考えさせられました。
被爆していない、戦争を知らない世代の私たちでも、伝えていけることはあるのでしょうか?
会の後、案内ボランティアをしている、という方と少しお話をする機会がありました。
そこで、私もほとんど話したことは無かったのですが、祖父の終戦時の話をしました。
祖父は工兵で、佐世保か呉かはたまた他の港湾なのか不明なのですが、とにかく、家がある静岡県富士市まで、終戦後ほとんどの行程を歩きで帰ったそうです。
その途中で、祖父は広島を通りました。
夜、真っ暗な中・・・青い火がちろちろと燃える中を、たった一人歩いて通ったのだそうです。
祖父は、なぜかこの話を、晩年1回しただけでした。
その理由はわからなかったのですが、今回被爆者の方々の話を聞いて、ふと思い当たりました。
被爆者の方々は、放射能の影響ゆえにずっと差別を受けていたそうです。
祖父は、終戦後すぐ、広島の町を通って帰ってきました。
もしかしたら祖父は、自分にも放射能の影響があるかもしれないと思い、ずっと口を閉ざしていたのかもしれません。
祖父は数年前に亡くなり、もう話を聞くことは出来ません。
このヒバクシャプロジェクトで知ったのが、Yes!キャンペーンです。
否定のNOを突きつけるのではなく、肯定のYESで、核兵器の廃絶を呼びかけていくプロジェクトです。
平和市長会議が発表した核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、わかりやすい言葉になおした絵本を発行し、議定書を一人でも多くの人にわかってもらう運動を行っています。
Yes! キャンペーン実行委員会
絵本の販売も、HPで行っています。
興味のある方は、どうぞHPを見てみてください。
そして、核兵器廃絶にYes!と叫べる世界になりますように。
ピースボートは以前、広島・長崎の被爆者103名と共に、世界一周をするクルーズを企画しました。
その時のドキュメンタリー映画が、今度国連でサイドイベントとして放映されるようですね。
埼玉に在住している、世界一周の旅に参加した被爆者の方、広島の原爆資料館で案内のボランティアをしている方の話を聞きました。
大学時代、アメリカ学の教授から、アメリカの原爆投下についての話や、アメリカ国民の考え方を聞いていましたが、それ以上に生々しい、被爆したからこその意見は非常に考えさせられました。
被爆していない、戦争を知らない世代の私たちでも、伝えていけることはあるのでしょうか?
会の後、案内ボランティアをしている、という方と少しお話をする機会がありました。
そこで、私もほとんど話したことは無かったのですが、祖父の終戦時の話をしました。
祖父は工兵で、佐世保か呉かはたまた他の港湾なのか不明なのですが、とにかく、家がある静岡県富士市まで、終戦後ほとんどの行程を歩きで帰ったそうです。
その途中で、祖父は広島を通りました。
夜、真っ暗な中・・・青い火がちろちろと燃える中を、たった一人歩いて通ったのだそうです。
祖父は、なぜかこの話を、晩年1回しただけでした。
その理由はわからなかったのですが、今回被爆者の方々の話を聞いて、ふと思い当たりました。
被爆者の方々は、放射能の影響ゆえにずっと差別を受けていたそうです。
祖父は、終戦後すぐ、広島の町を通って帰ってきました。
もしかしたら祖父は、自分にも放射能の影響があるかもしれないと思い、ずっと口を閉ざしていたのかもしれません。
祖父は数年前に亡くなり、もう話を聞くことは出来ません。
このヒバクシャプロジェクトで知ったのが、Yes!キャンペーンです。
否定のNOを突きつけるのではなく、肯定のYESで、核兵器の廃絶を呼びかけていくプロジェクトです。
平和市長会議が発表した核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、わかりやすい言葉になおした絵本を発行し、議定書を一人でも多くの人にわかってもらう運動を行っています。
Yes! キャンペーン実行委員会
絵本の販売も、HPで行っています。
興味のある方は、どうぞHPを見てみてください。
そして、核兵器廃絶にYes!と叫べる世界になりますように。
第70回クルーズ航路発表 [ピースボート]
私が乗船予定なのは、第69回のピースボートなのですが、第70回の航路が最近発表されました。
第70回ピースボート航路
地図を見ると、まさに真っ直ぐ世界一周@@;
80日間世界一周だそうですが、かなりめまぐるしそうですね@@;;;
話によると、船に乗る期間を短くする代わりに、料金もだいぶ安くなる模様。
100日を越える船旅は、もしかしたら第69回ピースボートが最後かもしれない・・・なんて話もありますね。
やはりこの不況の時代、長い時間をかけて旅行することは、難しいことなのでしょう。
失職とはいえ、せっかく得た機会なので、しっかりと世界を見て回ってきたいと思っています。
世界をめぐる旅行をするのではなく、世界を見てきたい。
それが、私がピースボートに乗る目的の一つです。
第70回ピースボート航路
地図を見ると、まさに真っ直ぐ世界一周@@;
80日間世界一周だそうですが、かなりめまぐるしそうですね@@;;;
話によると、船に乗る期間を短くする代わりに、料金もだいぶ安くなる模様。
100日を越える船旅は、もしかしたら第69回ピースボートが最後かもしれない・・・なんて話もありますね。
やはりこの不況の時代、長い時間をかけて旅行することは、難しいことなのでしょう。
失職とはいえ、せっかく得た機会なので、しっかりと世界を見て回ってきたいと思っています。
世界をめぐる旅行をするのではなく、世界を見てきたい。
それが、私がピースボートに乗る目的の一つです。