ダブリンとニューグレンジとギネスビール~アイルランド・ダブリン~ [寄港地]
ダブリンでは、GETのチャレンジコースをとっていた。「1日アイルランド人体験」というコースだ。
ダブリンでは入国審査の面接があり、船内でパスポートを受け取った後、アイルランドの係官から入国スタンプをもらう必要がある。
一日アイルランド人体験のコースの集合時間は7時40分だが、この入国手続きのために早めに起きる必要がある。
ツアー客はコースごとに手続きの開始時間がおおよそ決まっていて、そこで手続きをしておかないとツアーに遅刻するか朝食が食べられないかどちらかだ。
私のコースの呼び出し予定時間は6時15分。6時前に起床して顔など洗い、髪も一応整える。上陸用のお出かけ着で出る気も起きず、パジャマで出るのはためらわれたので、部屋着で入国管理審査が行われるスターライトラウンジへ向かう。
周りを見れば、すでにお出かけ支度な元気なお方は少数で、大概眠気を押し殺しつつ部屋着姿だ。パジャマ派も数名いた。
IDカードを握り締めてしばらく待ち、呼び出されるとパスポートを受け取って臨時の入国審査所となったスターライトラウンジ内に入り、入国審査を受ける。
何か聞かれたような気もするが、眠かったせいかほとんど覚えていない。
アイルランドも寄航中はパスポートの携帯が義務付けられているので、カバンにしまって着替え、朝食をとってバスに向かう。
外に出ると意外に寒く、私はツアーリーダーのスタッフさんにスカーフを取ってきていいか聞いた。いいけどすぐに戻ってきて!とのことで、走って向かう。
このスタッフさんはGETの先生方のまとめ役で、とても優しい方だが怒るとかなり怖い。私にとっては、エジプトで2ドルを取り戻してくれた恩人なのでこれ以上は言えぬ。
生来足が遅いのと、この船旅でパソコンの前にばかり座っている生活を送っていたため、走っても走っても息が切れるばかり。結局、遅刻組三名とほぼ同時にバスに戻る羽目になり、スタッフ先生はにこやかに迎えてくれた……が、ちょっぴり怒っているのがわかった。
バスは曇り空の下、ダブリン市街に向かう。止まったのはスピアと呼ばれるモニュメント?の下。
何のために建造されて何のためにここにあるのか、サッパリ見当がつかぬ。
そのうち、一日アイルランド人体験をエスコートしてくれるバディ(Buddy)役の人たちと会う。
私たちのチームのバディは30前後の男性で、日本語もできる。アイリッシュホイッスルという縦笛の名手で、尺八など日本の縦笛も演奏できるとのこと。
日本語が出来るのは緊急避難的なもので、やはりGETの講座の一部ゆえ、会話は全て英語である。
スピアのことを聞いてみると、やはり何メートルあるのか、何のためのものなのか不明だという。
考えてみれば、自分たちだって日本の街の片隅にあるモニュメントの全てを語れるわけではない。
ただ、加えて「税金の無駄だと思う」と付け足したのは、やはり地元民だからだろう。
バディと組んで歩き出し、しばらく行くとこの通りの名の由来らしき銅像と遭遇する。
確か、オコンネルとかいう人の像だったような気がするが、あまり覚えていない。
地図がないので、どこをどう歩いているのか見当もつかない。完全にバディ任せだ。
そのうち、バディが「この橋はダブリンでも古くて由緒がある橋で、ぜひ渡ってもらいたい」とする橋にたどり着いた。
完全に人のみしか渡れない橋で、ハーペニーブリッジというらしい。
橋からは緑の頭の尖塔が見え、フォーコーツという施設だと教えてもらった。
フォーコーツとは反対に進んでいき、途中でいくつもの細い路地を抜けた。
星座が描かれた外壁の下で、人々が談笑している。
バディがなにやらアイルランドでは有名なアーティストの生家を案内してくれたが、メンバー三人誰もその人物を知らず、ちょっぴりガッカリした様子だった。
そのうち、名前だけは聞いたことがあるクライストチャーチ大聖堂にやってきた。
時間がないので中には入れない。
どうも、バディとダブリン市内を歩く時間は厳格に決められており、私たちの担当バディは少ない時間でより多くのダブリンの良いところを見せたい意向のようだった。
次に着いたのは、クライストチャーチ近くにあるダブリン城だ。
この城は、現在では市民に広く開放された施設になっているという。
門には天秤を手にした女神と剣と盾を捧げ持つ神の像が立っていた。
ケルト神話の神かどうかはやはり不明だという。バディがこっそり漏らしたが、どうも神話方面には疎いとのこと。私もギリシャ神話あたりなら、天秤持つのは正義の女神アストライアで、剣と盾は戦の神マルスかなと推測できるが、ケルトは門外である。
慌しくダブリン城から出て、また歩く。
大きな道路に出てしばらく歩くと、バディがあれがアイルランドの中央銀行だと教えてくれた。
ちょっと見ると博物館か何かのようで、銀行とは思えない。古い建物をそのまま使っているとのこと。
アイルランド中央銀行からすぐに、バディがもっとも見せたがっているらしい建物が見えてきた。トリニティカレッジだ。
トリニティカレッジにはケルトの書という巨大図書館があったが、入館料を取られるとのことで、今回はパスとなった。
ケルトの書は私も行きたい場所の一つだったが、ここで入らなかったのは幸いで、天井まで本棚という夢のような場所に入り込んだが最後、しばらく出てこなかっただろう。
このトリニティカレッジの周囲をぐるりと取り囲む道路の一角に、GETツアーのバスは停まっていた。
カレッジの中を通り抜けてバスにつくと、まだ他のチームは来ていない。うちなー時間ではないが、アイルランド時間のようなものがここにはあるらしい。
やがてメンバーも集まり、バスで次の場所に向かう。
雨が降りそうな曇り空は全く晴れる気配も無く、ただどんよりと分厚く垂れ込めていた。
次に向かったのは丘で、一軒の土産物屋があるっきりの寂しげな場所だった。
牛はやや元気そうだが、寒すぎて人間たちは縮こまっていた。
かなりの年代物らしき古い教会を見つつ、この丘は非常に古く遺跡が多いのだとバディが説明してくれた。
この石も、昔の文明の名残の一つだそうだ。
しかし、ここに至るまで大きな丘をいくつもえっちらおっちら登り下りし、穴を覗けば「昔の墓だよ」と言われて飛びのく。日本も外国も、遺跡というのは簡単にいける場所にあまり作られないものなのだろうか。
バディはここを「タラの丘」と言っていた。
そのときは、あまりの曇り空と寒々しさに、ここがその場所だと気がつくこともなかった。
タラの丘とは、あの「風と共に去りぬ」で、最後にスカーレット・オハラが帰るあのタラの丘だったのだ。(正確には物語の「タラ」由来の地ですが)
昼食は伝統的なアイルランド料理をいただくとのことで、昔の駅舎がそのままレストランとなったところへ行った。
伝統的なアイルランド料理とは、厚切りハムに温野菜にパンといった感じの食事で、野菜は何だったのか未だに見当もつかない。スペインのガリシア料理もそうだったが、伝統料理というのは意外と地味なものが多い。
隣に座っていた人はバスの運転手さんの一人で、ベジタリアンなので一緒の食事は出来ず、お茶だけ飲んでいた。GETの先生もベジタリアンが多く、私の先生もその一人なのでよくわかる。「食べなくて大丈夫なのか?」と他の人が聞くと、大丈夫だよと答えていた。
食事をしてバスに乗ると少し気分が悪くなり、バディに告げて少し寝ていた。間違って「Seasick(船酔い)」と言ってしまったが、バディは了承してくれた。
もうすぐ着くよと起こされると、何やら大掛かりな建造物の駐車場に入るところだった。あれほど曇っていた空は晴れ渡り、雨の気配はもう無かった。
ここは「ブルー・ナ・ボーニャビジターセンター」とのことで、何の建物かよくわからない。
英語と日本語のパンフレットを渡され、バディの手前英語を読むべきだろうが、とりあえず日本語に目を通す。
ブルー・ナ・ボーニャというとなじみが薄く、ボイン渓谷の遺跡群と言ってわかれば世界遺産通。しかし、ニューグレンジという名なら聞いたことがある人もいるだろう。
冬至の日前後数日のみ、遺跡の奥に日が射すという古代の遺跡だ。
正確には、ニューグレンジは巨石建造物群の一つの名で、全体ではブルー・ナ・ボーニャ(日本では「ボイン渓谷遺跡群」と紹介されることが多いようだ)と呼ばれている。
大きなものはニューグレンジ、ノウス、ドウスの三種だが、全体では40個ほどの遺跡が存在している。
今回のツアーで見学できるのは、ニューグレンジのみ。ガイドが付き添い、指定の時間のバスに乗らなければならない。丸い茶色のシールが配られ、それを上着に貼るように言われる。Newgrangeとバスの時刻が印刷されていた。
指定の時刻になるとバスに乗り込む。ここで、バディが、友人のほかのチームのバディ役と少し交代してみないかと交渉。バディ(こっそり)交代である。
新バディは歴史などにも詳しいらしく、わかるような英語に直してニューグレンジなどのことを説明してくれた。後ろでは旧バディが音楽や楽器の話で盛り上がっている。
バスはすぐにニューグレンジに着いた。丘の上に大きな遺跡が広がっているのが見える。
一人ひとりゲートを通過し、バディの説明を聞きながらニューグレンジへの道を登る。かなりきつい。
一回のバスグループを二回に分けて遺跡の中に案内するとのこと。私たちは最初のグループで、先に入っている人たちを待つために少し待機しつつ、ニューグレンジ専門ガイドの説明を聞く。
中に入ると、石の遺跡特有のひんやりした空気が身体を包む。石の匂いと土の匂い、そして閉鎖された空間に漂う一種独特な匂いがした。
中には電気設備が整っていたが、それを消してしまうと文字通り真っ暗である。外はまぶしいほどの明るさのはずなのに、全く光が入ってこない。隣の人の気配はするが、顔を向けても何も見えない。
遺跡内では、電灯を使って冬至の朝日の光の入り方を説明する。私は星座こそ詳しいものの、軌道計算や緯度計算などに弱いので、電卓もコンピューターも無い時代にこんな設備を作った古代の人はスゴイなぁとタダ感心する。
説明が終わって外に出ると、次のグループの説明が終わるまで自由行動とのこと。
新バディの姿も無いので、私はぐるりニューグレンジを回ってみた。
一周するだけでかなり歩く。
ニューグレンジの外壁は石が寸分の隙も無く積まれているが、上のほうは芝生が生えている。新バディとガイドさんの話をあわせると、どうもわざと草を植えたようだが…私の英語読解力に自信がないのでここまでにしておく。
ボイン渓谷の全体図があり、写真に収めておいた。かなり広い渓谷のようである。
ブルー・ナ・ボーニャを出て、最後はアイリッシュパブへ向かうとのこと。
このアイリッシュパブはかなり古いもので、ギネスビールのコマーシャルに使用されたこともあるほどの伝統的アイリッシュパブらしい。
バスはうんうん呻りつつ、狭い坂を登って行く。見た感じ、小さな村のようだった。
何の飾り気も無い平屋の建物で、パブの名前が壁面に書かれていた。オコンネルというどこかで聞いたような名前の店で、オコンネル婦人が現在のパブのマダムのようだ。とはいえ、もうかなりのご高齢だ。それでも椅子にきちんと座り、笑顔で出迎えてくれた。
中は絵に書いたような小村のパブで、様々な酒のビンが所狭しと並べられている。元バディが私たちを探し出し、酒が飲めるのか?ギネスで良いか?1パイントでいいか?と聞いた後に、ギネスビールを持って来てくれた。代金は良いとのことだったが、もしかしたらグループごとに先渡しだったのかもしれない。
バーテンダーさんは一人だったが、急ぐわけでもなく悠々と注ぎ、カウンターに置く。頃合を見計らってバディたちが取りに行く。ギネスは待ちの時間も必要と言われ、注がれてすぐがぶりと飲むのはマナー違反なのだ。
バディが持ってきたギネスはぬるく、内心これは参ったなと思った。
しかし、飲んでみればこれがまた適温で、泡はホイップクリームなんぞよりも滑らかで、ギネスの喉越しも非常に良く、味わったことがない美味さだった。
アルコールが入って、元バディは陽気な曲をアイリッシュホイッスルで奏ではじめた。最初はパブ内で遠慮がちに吹いていたが、そのうち外に出て演奏しだすと、オコンネル婦人もツアー客も陽気に騒ぎ始める。
ツアーリーダーの先生もギネスを片手に嬉しそうだ。このくらいの楽しみが、やはりスタッフにも必要だろう。
パブは村の中でも小高い場所にあり、眺めは非常に良い。
馬の親子がのんびり草を食んでいた。
近くには古い教会の廃墟があった。
古い石段を登って入ってみると、若い子達があちこち探検して回っていた。とはいえ、階段も途中までで奥には進めず、宝箱も骸骨も無さそうなので次々戻ってきていた。
由来が刻まれていたが、イマイチ理解できない。ギネスのせいかも知れぬ。
ふと見れば、ツアーの二台目のバスは中々レトロな外観だった。
個人的には、こういうバスのほうが好きである。
再びトリニティカレッジの近くまで来て、バディたちとはここでお別れだ。新旧のバディ二人と、外国人的なハグのご挨拶で別れる。新バディは意外に力が強く、あやうく息が詰まるところだった。
バディと別れて船に戻るのかと思いきや、少し時間があるので土産屋の近くにバスを止めるとのこと。
土産を買えるとは思っていなかったので慌てて走り、ギネスのマークやアイルランドのシャムロックがついたグッズを買って戻る。スプーンがついた陶製のカップも欲しかったが、悲しいかな、ユーロ切れである。
土産を持ってバスに戻ると、最初のバディが話していた「アイルランドの象徴であるハープの形をした橋」が見えてきた。
このハープはギネスのマークにも使用されていて、アイルランド人にとっても大切な楽器だ。
もう少し楽器に詳しければ、最初のバディと話が合っただろうなぁと反省する私を乗せて、バスは船に戻っていった。
ダブリンでは入国審査の面接があり、船内でパスポートを受け取った後、アイルランドの係官から入国スタンプをもらう必要がある。
一日アイルランド人体験のコースの集合時間は7時40分だが、この入国手続きのために早めに起きる必要がある。
ツアー客はコースごとに手続きの開始時間がおおよそ決まっていて、そこで手続きをしておかないとツアーに遅刻するか朝食が食べられないかどちらかだ。
私のコースの呼び出し予定時間は6時15分。6時前に起床して顔など洗い、髪も一応整える。上陸用のお出かけ着で出る気も起きず、パジャマで出るのはためらわれたので、部屋着で入国管理審査が行われるスターライトラウンジへ向かう。
周りを見れば、すでにお出かけ支度な元気なお方は少数で、大概眠気を押し殺しつつ部屋着姿だ。パジャマ派も数名いた。
IDカードを握り締めてしばらく待ち、呼び出されるとパスポートを受け取って臨時の入国審査所となったスターライトラウンジ内に入り、入国審査を受ける。
何か聞かれたような気もするが、眠かったせいかほとんど覚えていない。
アイルランドも寄航中はパスポートの携帯が義務付けられているので、カバンにしまって着替え、朝食をとってバスに向かう。
外に出ると意外に寒く、私はツアーリーダーのスタッフさんにスカーフを取ってきていいか聞いた。いいけどすぐに戻ってきて!とのことで、走って向かう。
このスタッフさんはGETの先生方のまとめ役で、とても優しい方だが怒るとかなり怖い。私にとっては、エジプトで2ドルを取り戻してくれた恩人なのでこれ以上は言えぬ。
生来足が遅いのと、この船旅でパソコンの前にばかり座っている生活を送っていたため、走っても走っても息が切れるばかり。結局、遅刻組三名とほぼ同時にバスに戻る羽目になり、スタッフ先生はにこやかに迎えてくれた……が、ちょっぴり怒っているのがわかった。
バスは曇り空の下、ダブリン市街に向かう。止まったのはスピアと呼ばれるモニュメント?の下。
何のために建造されて何のためにここにあるのか、サッパリ見当がつかぬ。
そのうち、一日アイルランド人体験をエスコートしてくれるバディ(Buddy)役の人たちと会う。
私たちのチームのバディは30前後の男性で、日本語もできる。アイリッシュホイッスルという縦笛の名手で、尺八など日本の縦笛も演奏できるとのこと。
日本語が出来るのは緊急避難的なもので、やはりGETの講座の一部ゆえ、会話は全て英語である。
スピアのことを聞いてみると、やはり何メートルあるのか、何のためのものなのか不明だという。
考えてみれば、自分たちだって日本の街の片隅にあるモニュメントの全てを語れるわけではない。
ただ、加えて「税金の無駄だと思う」と付け足したのは、やはり地元民だからだろう。
バディと組んで歩き出し、しばらく行くとこの通りの名の由来らしき銅像と遭遇する。
確か、オコンネルとかいう人の像だったような気がするが、あまり覚えていない。
地図がないので、どこをどう歩いているのか見当もつかない。完全にバディ任せだ。
そのうち、バディが「この橋はダブリンでも古くて由緒がある橋で、ぜひ渡ってもらいたい」とする橋にたどり着いた。
完全に人のみしか渡れない橋で、ハーペニーブリッジというらしい。
橋からは緑の頭の尖塔が見え、フォーコーツという施設だと教えてもらった。
フォーコーツとは反対に進んでいき、途中でいくつもの細い路地を抜けた。
星座が描かれた外壁の下で、人々が談笑している。
バディがなにやらアイルランドでは有名なアーティストの生家を案内してくれたが、メンバー三人誰もその人物を知らず、ちょっぴりガッカリした様子だった。
そのうち、名前だけは聞いたことがあるクライストチャーチ大聖堂にやってきた。
時間がないので中には入れない。
どうも、バディとダブリン市内を歩く時間は厳格に決められており、私たちの担当バディは少ない時間でより多くのダブリンの良いところを見せたい意向のようだった。
次に着いたのは、クライストチャーチ近くにあるダブリン城だ。
この城は、現在では市民に広く開放された施設になっているという。
門には天秤を手にした女神と剣と盾を捧げ持つ神の像が立っていた。
ケルト神話の神かどうかはやはり不明だという。バディがこっそり漏らしたが、どうも神話方面には疎いとのこと。私もギリシャ神話あたりなら、天秤持つのは正義の女神アストライアで、剣と盾は戦の神マルスかなと推測できるが、ケルトは門外である。
慌しくダブリン城から出て、また歩く。
大きな道路に出てしばらく歩くと、バディがあれがアイルランドの中央銀行だと教えてくれた。
ちょっと見ると博物館か何かのようで、銀行とは思えない。古い建物をそのまま使っているとのこと。
アイルランド中央銀行からすぐに、バディがもっとも見せたがっているらしい建物が見えてきた。トリニティカレッジだ。
トリニティカレッジにはケルトの書という巨大図書館があったが、入館料を取られるとのことで、今回はパスとなった。
ケルトの書は私も行きたい場所の一つだったが、ここで入らなかったのは幸いで、天井まで本棚という夢のような場所に入り込んだが最後、しばらく出てこなかっただろう。
このトリニティカレッジの周囲をぐるりと取り囲む道路の一角に、GETツアーのバスは停まっていた。
カレッジの中を通り抜けてバスにつくと、まだ他のチームは来ていない。うちなー時間ではないが、アイルランド時間のようなものがここにはあるらしい。
やがてメンバーも集まり、バスで次の場所に向かう。
雨が降りそうな曇り空は全く晴れる気配も無く、ただどんよりと分厚く垂れ込めていた。
次に向かったのは丘で、一軒の土産物屋があるっきりの寂しげな場所だった。
牛はやや元気そうだが、寒すぎて人間たちは縮こまっていた。
かなりの年代物らしき古い教会を見つつ、この丘は非常に古く遺跡が多いのだとバディが説明してくれた。
この石も、昔の文明の名残の一つだそうだ。
しかし、ここに至るまで大きな丘をいくつもえっちらおっちら登り下りし、穴を覗けば「昔の墓だよ」と言われて飛びのく。日本も外国も、遺跡というのは簡単にいける場所にあまり作られないものなのだろうか。
バディはここを「タラの丘」と言っていた。
そのときは、あまりの曇り空と寒々しさに、ここがその場所だと気がつくこともなかった。
タラの丘とは、あの「風と共に去りぬ」で、最後にスカーレット・オハラが帰るあのタラの丘だったのだ。(正確には物語の「タラ」由来の地ですが)
昼食は伝統的なアイルランド料理をいただくとのことで、昔の駅舎がそのままレストランとなったところへ行った。
伝統的なアイルランド料理とは、厚切りハムに温野菜にパンといった感じの食事で、野菜は何だったのか未だに見当もつかない。スペインのガリシア料理もそうだったが、伝統料理というのは意外と地味なものが多い。
隣に座っていた人はバスの運転手さんの一人で、ベジタリアンなので一緒の食事は出来ず、お茶だけ飲んでいた。GETの先生もベジタリアンが多く、私の先生もその一人なのでよくわかる。「食べなくて大丈夫なのか?」と他の人が聞くと、大丈夫だよと答えていた。
食事をしてバスに乗ると少し気分が悪くなり、バディに告げて少し寝ていた。間違って「Seasick(船酔い)」と言ってしまったが、バディは了承してくれた。
もうすぐ着くよと起こされると、何やら大掛かりな建造物の駐車場に入るところだった。あれほど曇っていた空は晴れ渡り、雨の気配はもう無かった。
ここは「ブルー・ナ・ボーニャビジターセンター」とのことで、何の建物かよくわからない。
英語と日本語のパンフレットを渡され、バディの手前英語を読むべきだろうが、とりあえず日本語に目を通す。
ブルー・ナ・ボーニャというとなじみが薄く、ボイン渓谷の遺跡群と言ってわかれば世界遺産通。しかし、ニューグレンジという名なら聞いたことがある人もいるだろう。
冬至の日前後数日のみ、遺跡の奥に日が射すという古代の遺跡だ。
正確には、ニューグレンジは巨石建造物群の一つの名で、全体ではブルー・ナ・ボーニャ(日本では「ボイン渓谷遺跡群」と紹介されることが多いようだ)と呼ばれている。
大きなものはニューグレンジ、ノウス、ドウスの三種だが、全体では40個ほどの遺跡が存在している。
今回のツアーで見学できるのは、ニューグレンジのみ。ガイドが付き添い、指定の時間のバスに乗らなければならない。丸い茶色のシールが配られ、それを上着に貼るように言われる。Newgrangeとバスの時刻が印刷されていた。
指定の時刻になるとバスに乗り込む。ここで、バディが、友人のほかのチームのバディ役と少し交代してみないかと交渉。バディ(こっそり)交代である。
新バディは歴史などにも詳しいらしく、わかるような英語に直してニューグレンジなどのことを説明してくれた。後ろでは旧バディが音楽や楽器の話で盛り上がっている。
バスはすぐにニューグレンジに着いた。丘の上に大きな遺跡が広がっているのが見える。
一人ひとりゲートを通過し、バディの説明を聞きながらニューグレンジへの道を登る。かなりきつい。
一回のバスグループを二回に分けて遺跡の中に案内するとのこと。私たちは最初のグループで、先に入っている人たちを待つために少し待機しつつ、ニューグレンジ専門ガイドの説明を聞く。
中に入ると、石の遺跡特有のひんやりした空気が身体を包む。石の匂いと土の匂い、そして閉鎖された空間に漂う一種独特な匂いがした。
中には電気設備が整っていたが、それを消してしまうと文字通り真っ暗である。外はまぶしいほどの明るさのはずなのに、全く光が入ってこない。隣の人の気配はするが、顔を向けても何も見えない。
遺跡内では、電灯を使って冬至の朝日の光の入り方を説明する。私は星座こそ詳しいものの、軌道計算や緯度計算などに弱いので、電卓もコンピューターも無い時代にこんな設備を作った古代の人はスゴイなぁとタダ感心する。
説明が終わって外に出ると、次のグループの説明が終わるまで自由行動とのこと。
新バディの姿も無いので、私はぐるりニューグレンジを回ってみた。
一周するだけでかなり歩く。
ニューグレンジの外壁は石が寸分の隙も無く積まれているが、上のほうは芝生が生えている。新バディとガイドさんの話をあわせると、どうもわざと草を植えたようだが…私の英語読解力に自信がないのでここまでにしておく。
ボイン渓谷の全体図があり、写真に収めておいた。かなり広い渓谷のようである。
ブルー・ナ・ボーニャを出て、最後はアイリッシュパブへ向かうとのこと。
このアイリッシュパブはかなり古いもので、ギネスビールのコマーシャルに使用されたこともあるほどの伝統的アイリッシュパブらしい。
バスはうんうん呻りつつ、狭い坂を登って行く。見た感じ、小さな村のようだった。
何の飾り気も無い平屋の建物で、パブの名前が壁面に書かれていた。オコンネルというどこかで聞いたような名前の店で、オコンネル婦人が現在のパブのマダムのようだ。とはいえ、もうかなりのご高齢だ。それでも椅子にきちんと座り、笑顔で出迎えてくれた。
中は絵に書いたような小村のパブで、様々な酒のビンが所狭しと並べられている。元バディが私たちを探し出し、酒が飲めるのか?ギネスで良いか?1パイントでいいか?と聞いた後に、ギネスビールを持って来てくれた。代金は良いとのことだったが、もしかしたらグループごとに先渡しだったのかもしれない。
バーテンダーさんは一人だったが、急ぐわけでもなく悠々と注ぎ、カウンターに置く。頃合を見計らってバディたちが取りに行く。ギネスは待ちの時間も必要と言われ、注がれてすぐがぶりと飲むのはマナー違反なのだ。
バディが持ってきたギネスはぬるく、内心これは参ったなと思った。
しかし、飲んでみればこれがまた適温で、泡はホイップクリームなんぞよりも滑らかで、ギネスの喉越しも非常に良く、味わったことがない美味さだった。
アルコールが入って、元バディは陽気な曲をアイリッシュホイッスルで奏ではじめた。最初はパブ内で遠慮がちに吹いていたが、そのうち外に出て演奏しだすと、オコンネル婦人もツアー客も陽気に騒ぎ始める。
ツアーリーダーの先生もギネスを片手に嬉しそうだ。このくらいの楽しみが、やはりスタッフにも必要だろう。
パブは村の中でも小高い場所にあり、眺めは非常に良い。
馬の親子がのんびり草を食んでいた。
近くには古い教会の廃墟があった。
古い石段を登って入ってみると、若い子達があちこち探検して回っていた。とはいえ、階段も途中までで奥には進めず、宝箱も骸骨も無さそうなので次々戻ってきていた。
由来が刻まれていたが、イマイチ理解できない。ギネスのせいかも知れぬ。
ふと見れば、ツアーの二台目のバスは中々レトロな外観だった。
個人的には、こういうバスのほうが好きである。
再びトリニティカレッジの近くまで来て、バディたちとはここでお別れだ。新旧のバディ二人と、外国人的なハグのご挨拶で別れる。新バディは意外に力が強く、あやうく息が詰まるところだった。
バディと別れて船に戻るのかと思いきや、少し時間があるので土産屋の近くにバスを止めるとのこと。
土産を買えるとは思っていなかったので慌てて走り、ギネスのマークやアイルランドのシャムロックがついたグッズを買って戻る。スプーンがついた陶製のカップも欲しかったが、悲しいかな、ユーロ切れである。
土産を持ってバスに戻ると、最初のバディが話していた「アイルランドの象徴であるハープの形をした橋」が見えてきた。
このハープはギネスのマークにも使用されていて、アイルランド人にとっても大切な楽器だ。
もう少し楽器に詳しければ、最初のバディと話が合っただろうなぁと反省する私を乗せて、バスは船に戻っていった。
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