SSブログ

アラブの商人 [船上コラム・我思ふ]

 サファガかアカバか不明だが、アラブの商人が乗り込んできていた。
 ポートサイドまで乗っているつもりらしい。金を払っているのか何なのか知らないが、5階のレセプション前に陣取って絵葉書や置物などの土産物を並べている。
アラブの商人3.jpg
 サファガからポートサイドまでの間、アラブの商人をずいぶんと見てきたが、彼らはかなりしたたかである。

 日本人は言い値で買う傾向にあるとのことだが、彼ら相手に言い値で買うのはかなりの損である。
 どうしても無理だという人は、大阪のオバちゃんたちと一緒にいるといいだろう。連れの買い物もしっかり値切ってくるので、商人たちは大阪のオバちゃんたちを恐れていた。

 さて、乗り込んできた商人はこの一名だけではない。
 スエズ運河を通過する際には、当然パイロットなどが乗り込んでくる。
 この中に、スエズ運河(庁?会社?)の関係者が商人として乗り込んできていた。この人たちはビジター扱いで船内を歩き回る。

 スエズ運河の関係者が商人として乗り込んでくる話は、「どくとるマンボウ航海記」にも載っている。
 半世紀以上前のこの話の中でも、スエズ運河会社のボートマンがゴザを広げてラクダの置物や絵葉書などを売っている描写が出てくる。
 北杜夫氏が船医として乗り組んでいた、水産庁の漁業調査船「(初代)照洋丸」には、運河パイロットの他に探照灯係2名、ボートマン6名が乗り込んできた旨が書かれている。
 オセアニック号の場合は、どのポジションがどれだけ乗り込んできたのか不明である。少なくとも、昼の航海だったので探照灯係はいなかったのかもしれないし、別のポジションの係が乗り込んでいるのかも知れぬ。

 話を戻して。
 スエズ運河関係の人が乗り込み、商品を売ることは事前に航路説明会にて告知がされていた。
 それに伴い、売っている物の値段が高いことなども注意事項として上げられていた。スエズ運河を通る以上、断ることは出来ないのだろう。
 漁業調査船でさえ乗り込んでくるくらいなのだから、いわんや客船をや。
 「どくとるマンボウ航海記」でも、ボートマンが売るものは高くて少しもマケないということが書かれていた。一つも売れなくても悠々としていて、一個でも高く売れればよいという魂胆なのだろうと書かれている。
 今もそうなのか、と、私は驚きもしたが反面見てみたい気も強く、スエズ運河の関係者がゴザを広げているであろうフリースペースへ向かった。

 残念ながら、ゴザはひかれていなかった。
アラブの商人2.jpg

アラブの商人1.jpg
 しかしすごい。置物、飾り箱、パピルス、絵葉書、エジプトの民族衣装と多種多彩の土産物を、二名のスエズ運河関係者が売っていた。
 何より驚いたのは、どう考えても高そうだし、次のポートサイドではもう少しマシな値段で買えそうなものを、その場にいるおっさんおばさん達が買い込んでいることだった。
 「どくとるマンボウ航海記」は読んでいないにしても、航路説明会であれだけ注意されたのに、よほど日本語がわからないのかと仰天した。
 しかし、上手は商人の方であり、高そうだと躊躇する人には「ココダケヨ」「ホカニハナイヨ」と、巧みに声をかけて買わせているのだ。
 しかも商人は冷やかしと買える人物を見分ける目をしっかり持っており、ほんの少しでも「買おうか」という態度の人に対する畳み掛けはものすごい。
 私は最初から財布も持たず、買う気0だったのでむしろゆっくり商品を眺められたのは幸いだったのかも知れぬ。
 ともかく、買う人が多いので商人たちは大満足。冷やかしの一人や二人は眼中にもなかったようだ。

 この間、実はピースボートセンターは厳戒態勢に入っていた。
 というとオオゲサだが。
 何があったかというと、過去の航海でアラブの商人たちが船から下りた後、ピースボートセンターのテレビが消えていたとのこと。
 そーか、それでセンターにはテレビないのね@@;とナットクしている場合ではない。
 新聞局とブッカーのパソコンはおんぼろで、むしろ持っていってもらった方が新しいのが買えるほどのものだったが、写真と映像チームは良いパソコンを使っているから、みんなどこかへ隠してしまっていた。
 写真はノートだったが、映像は大型のデスクトップなので、映像担当スタッフは前の日の遅くまで、パソコン備品を持って右往左往していた。

 大西洋あたりに出たところで、この話を他の人にしたら、その人は「実はアラブの商人に部屋に泊めてくれと頼まれていた。結局来なかったのだが、泊めていたら(自分の)パソコンを持っていかれたのか!」と驚愕していた。
 まぁ、今回はセンターも乗客も被害がなかったようでナニヨリである。
 ちなみに、おんぼろの新聞局・ブッカーパソコンも持っていかれなかったので、めでたく今もポンコツパソコンのままで新聞を作っているのだろう。

 ところで、話が「どくとるマンボウ航海記」の内容ばかりで申し訳ないが、この話の中にずば抜けて日本語がうまい物売りの若者が出てくる。
 名前を聞くと「ヤマモト」といい、本当の名前はと聞くと「マモ」と答えたという。

 ポートサイドで船を降りると、港の中にたくさんの物売りがキャラバンのように押し寄せていた。
 その中に、日本語で「ヤマモトショップ」と書かれている店があり、その店には柔和なおじいさんがいた。
 半世紀前は若者だったのだろうが・・・なんとなくあの話の中のエピソードは謎のままにしておきたい気持ちが働き、本名を尋ねることはついぞなかった。
タグ:スエズ運河
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。